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五臓六腑

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一兵卒と密命


 つい先日十五歳の誕生日を迎え、成人を翌年に控えたロビーは、王城の門番として働く見習い兵士である。
 大らかな良き先輩兵士達に支えられて、ようやく大門の脇に立って訪問者を捌く姿が板についてきた彼の元に、いつしかほぼ毎日のように可愛らしい客人が訪れるようになったのは、この城においてはあまりに有名な話だ。
 真っ直ぐな長い白金色の髪に、吸い込まれそうな透明感をたたえた薄青の瞳。けぶるような長い睫毛に、まろやかな薔薇色のほっぺ。
 小さな唇はぷるりと瑞々しく、そこから紡がれる声は小鳥のさえずりのように愛らしい。
 見た目の幼さに不釣り合いなのは、身に纏った正規の侍女のお仕着せであるが、それが彼女の為に特別な計らいで拵えられたということを、本人以外の誰しもが知っている。
 そう彼女――アミーリアは、この城に仕える侍女でも、ましてや見習いなどという身分でもない。
 この国の王家が留学という名目でお預かりしている、大切な大切な隣国の末姫様なのだ。

 しがない庶民出の見習い兵士であるロビーとは、一生無縁そうな雲の上の存在なお姫様だが、年が近くて穏やかな性格のロビーとの逢瀬は殊の外彼女に気に入られたらしく、午後のお茶の時間には頻繁に門番の屯所を訪れるようになっていた。
 その際には、この国の侍女頭が用意してやった特注の侍女服に着替え、本人としては身分を偽り変装したつもりなのだが、もちろんその正体は周囲にばればれ。それでも優しい大人達は、幼い姫の行いに微笑ましく目を細め、皆気付かぬふりをしてやっているのだ。
 身分を鼻にかけることもなく、年嵩の門番達には敬意を持った態度で接し、無邪気であどけなく世間知らずで、その上ちょっとだけ我が侭なアミーリア姫は屯所でも皆に愛され、もちろんロビーだって恐れ多くも彼女を妹のように可愛いと思っている。
 そんなお姫様がわざわざ城の外れたる大門まで足を運んですることと言えば、城壁の天辺から顔だけのぞかせて城下町の賑わいに憧れの眼差しを投げ掛け、ロビーが話して聞かせる市井の話題に耳を傾け、土産に持ち寄った菓子で休憩中の門番達と和むくらい。
 ところが、のどかで平和な貴人の訪問にロビーや門番達がようやく慣れた頃、彼らの慎ましい午後の休憩時間は新たな来訪者を迎えることとなる。
 我が国の第二王子にして、全ての兵士にとって憧れと畏怖の対象である国軍の最高司令官。
 燃えるような赤毛を短く整え、猛禽類のように鋭い金の瞳であらゆる猛者を従える、ジーニャリア殿下だ。
 なんと七つも年下の、まだ子供子供した隣国の末姫にぞっこんらしい軍人王子は、当初姫が特別懐いている見習い兵士を目の敵にするという、非常に大人げない態度を見せた。しかし何度か共に過ごす内に、少年少女がお互いまったく、これっぽっちも異性を意識し合っていないと確信し、徐々にジーニャリアのロビーに対する態度は軟化しつつあった。
 それと共に、彼には門番の見習い兵士としての仕事とは別に、とある役目が与えられることになった。
 ロビーの勤務は基本早番である。
 早朝出勤し、日が傾く頃に遅番の兵士と交代するのだ。
 平和な国とはいえ、やはり夜の城の守りは厳重に行われる。そのため、即戦力とは見なされない見習い兵士であるロビーや、老齢の兵士などは明るい昼間の警備に当てられ、夜は屈強な働き盛りの兵士達が門に立つようシフトが組まれている。
 勤務が終わった者達は、それぞれ城内にある寄宿舎に引き上げるのだが、ロビーは家が城下町にあるので寄宿舎に部屋を貰っておらず、屯所にある勤務表にサインをすれば城を出て帰途につくのが日課だった。
 しかし、与えられた新たな仕事の為に、ほぼ毎日とある場所に寄り道をさせられることになっていた。

「殿下、ロビー君が来ましたよ」
「さっさと中に入れろ」

 ロビーが慣れない重厚な扉の前で何度か唾を飲み込み、緊張に顔を強張らせたままノックして名を告げると、ガチャリとそれを開いてくれたのは優しい表情の女性だった。
 彼女もまた、庶民出の見習い兵士など言葉を交わすことなど滅多にないであろう方。
 軍の最高幹部の一人であり、軍司令補佐官。
 物腰柔らかで落ち着いた大人の女性の雰囲気に、少年ロビーは憧れを抱かずにはいられないが、閉鎖的な男社会である軍隊でここまで伸し上がった彼女の武勇伝を、酔っぱらった先輩兵士に耳にタコができるくらい聞かされて知っていた。
 その剣の腕前は、この国随一の剣豪と名高い最高司令官殿も一目置く程だという。
 そして、その最高司令官こと、第二王子ジーニャリアこそがこの部屋の主である。
 穏やかな補佐官にそっけなく返したジーニャリアは、サインをした報告書の束を持ち上げると、それを彼女に手渡し席を外すように告げた。これからロビーとする話を、関係のない者に聞かれたくないようだ。
 もちろんそれを承知している補佐官殿は、くすくす笑ってロビーの肩を励ますように叩いてから、部屋を後にした。

「おい、見習い。さっさと報告書を寄越せ」
「あっ……は、はいっ!」

 補佐官が出て行ったのを確認すると、ジーニャリアはどかりと執務椅子に腰を下ろして足を組み、ロビーに向かって顎をしゃくった。
 彼こそが、ロビーに新たな仕事を押し付けた張本人である。
 上司の頂点とも言える最高司令官閣下直々の依頼など、本来なら見習いの彼には身に余る光栄であるが、残念ながらロビーはあまり嬉しくも誇らしくもない。というのも、その仕事がどうにも個人的過ぎる内容だったからだ。
 平和な国とはいえ、やはりいつ如何なる時も国の守りに手を抜くことはあってはならず、軍の最高司令官たるジーニャリア王子は常に職務に追われている。
 愛しい隣国王女と午後のお茶を楽しめる機会など滅多にないほど、日中の彼は多忙を極めているのだ。
 その上、如何に友好国のあどけない姫とはいえ、他国の王族を軍の最高機密情報が溢れた彼の執務室に招くことはできない。
 つまり、ジーニャリアの方から会いに行かなければ、アミーリアから彼の側に来ることは難しいのである。
 そこで、ロビーに与えられた使命というのが、毎日門番の屯所を訪れるアミーリア姫の様子を報告書にまとめ、こっそりジーニャリアに提出せよとのこと。
 思春期まっただ中の少年にとって、妹のように感じているとはいえ異性の様子を事細かに記すなど、実に恥ずかしい業務である。
 そのロビーの羞恥に耐えて綴った報告書を、軍関係の書類と同じくらい真剣な目で読み終えたジーニャリアは、おもむろにそれをビリビリと豪快に破り、粉々になった紙切れをくず箱に放り込んだ。
 そして、紙を破る音に一瞬ビクリとした目の前の見習い兵士を、幾分穏やかな顔つきで「ご苦労だった」と労い、ほっと小さく溜め息を吐いた。

「今日も、アミーリアは元気に過ごしたようだな」
「あ、はい。午前中の作法の先生に、今日は珍しく褒めていただいたと、とても喜んでいらっしゃいました」
「そうか」

 ジーニャリアは、毎日ロビーから上がってくる報告書を読み終えると、それを破り捨てる。
 一度目を通せば充分な内容であるし、アミーリアの日常をこの部屋に出入りする部下達に見られるのも面白くないからだ。
 ロビーとしても、女の子の行動をただ事細かに書いただけという、ある意味ストーカー的な内容の自筆の報告書など、さっさと処分してもらった方がありがたいので、全く異存はない。
 初めて間近で相対した時の軍司令官閣下は、とても威圧的で恐ろしかったが、何度か接する機会をいただいている内に、ロビーは彼がとても真面目で誠実で、少し不器用な方だと知るようになった。
 そしてまた、とても深く深く、かの小さなお姫様を想っていらっしゃるということも。 
 ロビーは、今日で連続七日、報告書を提出しに来た。
 つまり、ジーニャリア殿下はこの七日間、愛しい姫君との逢瀬の機会に恵まれていないということだ。
 特に、二日前にあった国王の生誕祝賀パレードの警備で軍部は慌ただしく、済んだ今はあちこちから寄せられる事後報告書の処理に追われているらしい。
 けれど、それももうそろそろ一段落つく頃だろう。
「もう帰っていいぞ」と言われ、疲れたように目頭を揉むジーニャリアに退室の挨拶を述べたロビーは、ふと扉の前で振り返ってさりげなく口を開いた。

「あの……」
「なんだ」
「アミー様……アミーリア様が、殿下がご無理をなさっていないかと、とても案じておられました」
「……」
「それに、殿下に会えないのはとても寂しいけれど、我が侭言わずに会いに来て下さるのを待つと……」
「……そうか」

 アミーリア姫本人は、自分の言動がロビーによって報告書としてまとめられ、ジーニャリアに毎日届けられていることなど知りはしない。
 彼女は年が近くて穏やかな性格のロビーに気を許し、自分に仕える侍女や母国から付き添ってきた爺やにも話せないようなことを、彼には何でも話してきかせてくれる。
 ここ数日ジーニャリアとまともに言葉を交わせていないらしい姫は、ロビーの前で素直に「寂しい」と言葉にし、「でも我慢できる」と言って唇を噛み締めた。
 しがない見習いの身分ではどうすることもできないが、妹のように思っている可愛い可愛いお姫様のいじらしい姿に切なさを感じ、そしてまた彼女を思って優しい顔をしたジーニャリアに、ロビーは胸を打たれたのだ。
 姫の想いを聞いて嬉しそうに目を細めた彼の様子に、ロビーも何だか心が温かくなった。
 恐れ多くも、このストイックで高貴な恋人達の仲を、ずっと見守っていきたいとの思いを抱くのだった。

 もう一度部屋の主に頭を下げて挨拶して、大きな扉を潜ってそれを閉じると、ようやく本日のロビーの勤務は終了である。
 あとはまっすぐ門へと向かい、先ほど交代した遅番の先輩兵士に先に失礼するとお決まりの挨拶をし、我が家へと帰るだけだ。
 ロビーの父は庶民としては異例の出世をして中佐の位を得た軍属であるが、生家は大きな下宿屋を営んでいて、その隣では叔父夫婦が小料理屋を構えている。
 地方出身の独身兵士が多くを占める下宿屋は、ロビーの母と父方の祖母が切り盛りをし、朝食と夕食は町一番のコックと評判の叔父が腕を振るう。ロビーも勿論ご相伴に預かるわけだが、身贔屓抜きにしても城の食堂などとは比べ物にならないほど美味いと思う。
 いつかジーニャリア王子殿下がお暇のできた時にでも、アミーリア姫と共に招待したいなどと願いつつ、ロビーがようやく門を潜ろうとした時、背後から声が掛かった。

「おい、待てよ平民」

 それは、実に横柄な声だった。
 明らかに、ロビーを侮蔑し、平民を見下すという、この平民兵士だらけの大門に喧嘩を売る言葉だった。
 しかも無駄に大きな声だったので、その場にいた兵士全員の視線が「ギンッ!」と、声の主に集まった。
 ロビーは本当は聞こえなかった振りをしてこのままそそくさと帰りたかったが、背後から更に苛立った声で「ロビーというのはお前だろう」と名前を出され、渋々振り返らざるを得なくなった。

「……あの、何?」
「口のきき方に気をつけろ、平民風情が」
「……」

 振り返った先にいた人物は、ロビーが敬語でなかったことが気に入らないと眉を顰めたが、それはおかしな話である。
 何故なら、かの人物もまた、ロビーと同じく翌年に成人を控えた十五歳。同時期に城に上がったばかりの見習い兵士の一人なのだから。 
 年も一緒肩書きも一緒の二人の違いといえば、ロビーが平民の出身であるのに対し、相手が侯爵家の次男坊であるということくらいだ。
 しかし、軍部は基本実力社会であり、最高幹部ともなればさすがに家柄の査定も必要になってくるが、一般の兵士は生まれた家の貴賎で上下関係が生じたりはしない。
 どれだけ高貴な家に生まれようと、相手が上司であれば例え平民出身でも敬意を払わなければならないし、それが軍部の常識である。
 もちろん、同じ見習い兵士であるロビーと侯爵家の息子もまた、職場では対等な関係であるはずなのだ。
 しかし、それをいまだ理解できない威張り散らした貴族がいることも事実であり、今ロビーの前に仁王立ちしている少年もそんな一人なのだろう。

「お前、最近司令官閣下の側をうろうろしているらしいじゃないか」
「はあ……仕事ですから」
「ただの平民の見習いが、一体どんな小賢しい手を使ったのかは知らないが、調子に乗るんじゃないぞ」
「いや、僕は何も……」
「口答えするな! 平民のくせにっ!!」
「……」

 なるほど、たかが平民のロビーが、限られた者しか入室を許されない軍司令官閣下の執務室に、頻繁に出入りしていることを小耳に挟んだのだろう。無駄にプライドが高そうなこの御貴族様は、侯爵家の自分を差し置いて平民が優遇されていると思い込み、気分を害しているようだ。
 確かに、軍属したばかりの見習い兵士が最高司令官の元を毎日のように訪れるのは、事情を知っている門番仲間はともかくとして、客観的に見ると不自然に感じられるだろう。
 何かコネがあるのかと疑い、あるいは妬みたくなる気持ちもわからなくもないが、命令に従っているだけの本人にとっては迷惑以外のなにものでもない。
 気弱な風情のロビーだが、ほぼ毎日かの最高司令官閣下の鋭い視線に晒されていた彼にとっては、同い年の少年の嫉妬と憎悪の視線など怖くも何ともなく、ただただ対処に困って鬱陶しいだけだ。
 つい、うんざりした気持ちが顔に出てしまったのか、それを見た侯爵家次男坊は侮られていると勘違いしたらしく、カッと怒りに顔を赤らめて、おもむろにロビーの胸ぐらを掴んで締め上げた。
 相手の方が頭一つ分背が高くがっしりとしていて、ロビーはぎりぎりと持ち上げられ、僅かにつま先が宙に浮いた。
 さすがに見兼ねた先輩兵士の一人が「おい、やめろ」と駆け寄ってきたが、しかしロビーを解放したのは彼ではなかった。

「ロビーを放しなさいっ!」

 突然、その場にそぐわない可憐な声が響いたかと思うと、ガツンっと身に響く大きな音と衝撃を感じた。
 次の瞬間――。悲痛な絶叫とともに、ロビーの胸ぐらを掴んでいた手が放された。
 そして、偉そうに仁王立ちしていたはずの目の前の少年が、地面に崩れ落ちる。
 その向こうに見えたのは、午後の休憩の終わりとともに部屋に戻ったはずの大門のアイドル、眩いブロンドの天使アミーリア姫であった。
 彼女はその可愛らしい顔を怒りと興奮で真っ赤に染め、振り上げていた片足をようやく地面に下ろしたところだった。
 その足は――、蹴ったのだ。
 隣国の宝玉ともいえる麗しい末姫様の――、我が国の王族方がこよなく慈しむ愛らしい客人の――、鬼神の如く強く厳しく雄々しい軍司令官閣下の溺愛する少女の、そのたおやかな白い足は蹴り上げたのだ。
 傲慢な貴族の少年の、その――無防備な股間を!
 それを認識した瞬間、思わずロビーは己の股間を両手で押さえて竦み上がった。
 と同時に、それまで遠巻きに成り行きを見守っていた兵士達が、揃って真っ青な顔をして、わああっとこちらに駆け寄ってきた。
 そして、きょとんとしているアミーリア姫を尻目に、全員涙目で悶絶する貴族少年を囲み、「おとせー! おとせー!」と懸命にその腰を叩いた。

「あっ、あ! あ! アミーリア様っ!!」
「ロビー、大丈夫だった?」

 何とか姫の名前を喉から絞り出したロビーに、当の少女は感謝せよとばかりに得意気に胸を張ってみせた。

「な、な、な、なんてことを……っ!!」
「何よ。ロビーが苛められていたから、助けてあげたんじゃない」
「いや、でもっ……だめ、駄目です! 男の股間は無闇に蹴っちゃ、絶対駄目です!」
「だって、先手必勝だってマーシーが……。何かあったら潰すつもりで蹴りなって」
「ひいい~」

 マーシーとは、この国の第三王子マーシュリア殿下。金髪碧眼の見目麗しい、絵に描いたようなキラキラな王子様だ。
 年齢的に将来アミーリアとの婚約も噂され、姫の方も四つ年上の彼に懐きとても仲が良いらしいが、実は腹にイチモツ持った人物だということは、その兄上であるジーニャリアによって明かされている。
 常日頃、無垢なアミーリア姫に良いことも悪いことも吹き込む王子であるが、今回ばかりはロビーも「なんて恐ろしいことを教えてくれたんだっ……」と、思わず涙目で彼を呪った。
 そんな彼の様子に、正義の味方気分で胸を張っていたアミーリア姫の表情が、だんだんと曇っていく。
 ついにはしょんぼりとしてしまった彼女に、ロビーはひどく慌てた。

「ロビーが……意地悪されるの嫌だったんですもの。だって、ロビーは私の一番のお友達でしょう」
「――アミーリア様っ!」

 眉を八の字にして見上げてきた薄青色の瞳は僅かに潤み、ロビーはぎゅっと胸を鷲掴みにされた気分だった。
 先ほど姫に股間を蹴り上げられた貴族少年に、同じ男として全力で抱いていたはずの同情心が急激に萎み、もう彼の大事なものが潰れていてもいいとさえ思えてきた。
 しかしロビーは、そこで「はた」と、あることに気付く。
 ――もしかして、もしかしなくても。自分は今起こった出来事についても、やはり報告書にまとめて軍司令官閣下に提出しなければならないのではなかろうか――
 かのお方には、ロビーが見聞きしたアミーリア姫に関することは、残らず漏らさず伝えるようにと命じられている。
 泣く子も黙る軍の最高司令官ジーニャリア王子殿下に、彼の可愛い可愛いお姫様が男の股間を蹴り潰すところだったと、ロビーは申し上げねばならないのだ。
 正直、それを聞いたジーニャリアの反応は、恐ろし過ぎて想像したくもない。
 いっそ、この場にいる全員にこのことは口外しないように頼もうか。
 蹴られた貴族少年本人もこんな不名誉な話をふれて回らないだろうし、彼の股間に同情している門番達も否とは言わないだろう。
 なかったことにすればいい。そうすれば、わざわざロビーが上に報告にいく必要もない。
 よしっ、それだ、それで行こう! と心に決めたロビーだったが、しかし一件落着とばかりに上げた視線の先に、それを阻む存在を見付けてしまった。

「あ、あ、あ、アミーリア様が……っ! 私の大切なアミーリア様がっ……!!」

 固まったロビーをきょとんと見上げる姫の背後、細身の身体をぱりっとしたスーツに包み、襟元にはきっちりと蝶ネクタイを結んだ、ロマンスグレーの髪と髭が上品な老紳士は、わなわなと身体を震わせ顔色は真っ青。
 彼こそが、ロビーがずっと姫の言う“ジーヤ”だと勘違いしていた、祖国より同行した彼女が生まれた時からの侍従、つまりアミーリア姫の爺やである。
 大切に大切にお育てしたお姫様が、男の股間を躊躇無く蹴り上げた姿を目の当たりにした彼のショックは如何ばかりか。
 後から聞いた話によると、その日の習い事で教師に褒められ気分の良かったらしいアミーリアが、いつも仲良くしている門番少年を今日こそ爺やに紹介してやろうと、彼を伴い大門にやってきて騒動に気付いたらしい。
 結局、あまりのショックにその後爺や殿は卒倒し、担架で救護室に搬送する騒ぎとなって、ロビーの企み虚しく翌日の報告書にその件を書かざるを得なくなってしまった。

『昨日の夕刻。
 アミーリア王女殿下は、同僚に暴力を振るわれそうになっていた見習い兵士を助けようと、勇敢にも立ち向かわれ、相手の股間を背後から蹴り上げ見事撃沈なさいました。
 そのような対処法をお教えになったのは、マーシュリア王子殿下でいらっしゃるとのことです。』

 その報告書を読んだジーニャリア殿下の顔を、ロビーは一生忘れないだろう。
 破り捨てる音の激しさも、胃を重くさせた憤怒に満ちた部屋の空気も。
 司令官閣下の怒りの矛先は、全て姫に余計なことを吹き込んだ弟王子に向いたので、ロビーに実害がなかったのだけが幸いであった。


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