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五臓六腑

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如何にして花は咲く(後編)




「お部屋はどのあたりですか? 私も今日この城にお邪魔したばかりで、ご案内できる自信がないのですが……」
「うん、気にしないで」
 父達が酒盛りをしているであろう部屋の灯りが、僅かにおとされた。
 もう、グラディアトリア皇帝の結婚を祝う前夜際はお開きになったのかもしれない。
 夜も更けたこんな時間に、見知らぬ相手とはいえ淑女をいつまでも迷わせているわけにもいかず、アルフレッドは夜顔から視線を外して、黒髪の娘をどうすれば部屋に送り届けられるか考えた。
「騎士の方が近くにいらっしゃるので、道を聞きましょうか?」
「いいの。道に迷ったら迷った場所で待つのが、遭難者の鉄則だよ。大丈夫、絶対迎えにきてくれるから」
「え……誰が?」
「うん、でも一人でこんな時間に部屋を出たのバレたら、絶対怒られるから……窓から困っている君を見て思わず助けにきて、一緒に道が分からなくなったっていう二次遭難的設定で、よろしく」
「え、え、え?」
「大丈夫、君に演技力は必要ない。黙って頷くだけでいいんだよ」
「あの……」
 見るからに上質なドレスから、城に仕える侍女や下働きとは思えず、明らかに貴族、しかもかなり高い地位にある家の娘と分かるが、彼女はご令嬢に相応しくない腹黒い笑みをニヤリと浮かべた。
 そのとびきり可愛らしい不敵な顔を目の当たりにしたアルフレッドは、激しく高鳴り早鐘のように打ち始めた自身の鼓動に戸惑った。
 何だろう、こんな気持ちは初めてだ――と、胸を押さえる彼を見上げていた紫の視線が、しかし次の瞬間すいっと動いて脇にそれたかと思うと、ぎゅっと周囲の光を集めたかのように輝きを増し、艶やかな薄紅色の唇が華やかな笑みの形に変化した。
「ヴィー」
「スミレ、探したぞ」
 同時に、アルフレッドの背後から降ってきたのは低く深い美声。弾かれたように振り返った彼の目に映ったのはまた、息を呑むほどの存在感を纏った人物だった。
 夜の闇に浮かび上がる白銀の髪に、切れ長の瞼の奥には紫の輝き。
 絶対的な美貌と見上げるほどの長身の男に畏怖を感じ、思わず顔を強張らせて身体を反らしたアルフレッドの脇をすり抜け、彼は長い腕を伸ばして黒髪の娘をさも大事そうに抱き上げた。
「そなたがいなくなったと、上では大騒ぎだ。マーサを発狂させる気か」
 恐ろしい程の美貌は無表情でありながら、すっと流れてアルフレッドに向けられた視線は心の奥を見透かすようで、冷厳なそれは少年を震え上がらせた。
 この男のことを、アルフレッドは知っていた。
 対面するのはこれが初めてだが、パトラーシュ王族の琥珀の瞳よりも更に稀少な紫の瞳と、これまた珍しい白銀の髪を持つ大陸一の美貌と名高い、グラディアトリアの先帝にして現在は大公爵の位を持つ、ヴィオラント・オル・レイスウェイク大公閣下に間違いないだろう。
 その美し過ぎる造形はあまりに有名であり、また伝え聞く彼の皇帝時代の偉業は、隣国の皇太子であるアルフレッドにとっても憧れを抱くものだった。
 レイスウェイク大公爵は、父フランディースとは幼馴染みの間柄で非常に気安い仲らしく、今宵も一緒に酒の席に着いたのではないだろうか。何と言っても、前夜祭の主役である現グラディアトリア皇帝は、彼の末弟である。
「そなた、パトラーシュの皇太子だな。妻が世話になった」
 妻というセリフに、アルフレッドの胸が一瞬ズキリと痛んだ。
 その呼び名と、男が抱き上げた娘の黒髪に愛おしげに唇を寄せる様子から、彼女がかの有名なレイスウェイク大公爵夫人であったと知る。
 珍しい黒髪と紫の瞳を見ればぴんと来そうなものだが、その容姿があまりに少女のようにあどけなく、まさか稀代の先帝の愛妻がこんなに愛らしい方だとは思ってもみなかったのだ。
 父フランディースは彼女のことをよく話題にはしたが、「面白い娘だ」と言ってにやにやするばかりで、その容姿に触れたことはなかった。
 彼女が大公爵夫人、スミレ・ルト・レイスウェイクであるならば、おそらく少女などと言っては失礼な年齢であろう。たしか、現在八歳になる嫡子がいるはずだが、とても一児の母には見えない。
「あ、この子、フランフランの息子さんなの? っていうか、部屋を出て来た言い訳するタイミングを逃してしまいました」
「言い訳は結構。どんな理由があろうと、そなたがこんな時間に一人で出歩くことを許すつもりはない」
「お昼寝したから目が冴えちゃって眠れないんだもん。シオン君はお子様だからおねむだし、ヴィーは酒盛りだし……」
「だからと言って、暗闇で足下を取られて転びでもしたらどうする。そなたは今、普通の身体ではないのだぞ」
 幼い子供を叱るようなレイスウェイク大公爵の言葉に、「え?」と夫人のお腹に目をやったアルフレッドは、その柔らかそうな白いドレスが幾らか前に突き出し盛り上がっているのに気付いて、驚きにとび上がった。
「えっ、あの……妊娠されてたんですか?」
「ああ、もうそろそろ産み月だ。このお転婆を足止めをしてくれて、感謝する」
 薄明かりの中とはいえ、臨月の大きくなった腹にも気付けなかった自身を恥じて、顔を伏せてしまった亜麻色の髪の少年を宥めるように、白銀の髪の男は穏やかな声でそっと彼に語りかけた。
「フランディースは息子の寝顔を拝むと言って部屋に帰ったぞ。そなたも父を心配させないように、早く戻りなさい」
「……はい」
 それから、グラディアトリアの先帝はその稀色の瞳を細め、脇に慎ましやかに咲く夜顔の花に視線をやった。
「私の植えた夜顔は、今宵は思い掛けず上客を得たようだな」
「え……? では、ロバート・ウルセルの弟子というのは……」
「私と、コンラートの王兄ルータスのことだろうな。ここら一体は、皇太子の頃から私が担っていた庭だ」
 では、先ほど夫人が話して聞かせてくれた、白花に一時の癒しを求めずにはいられなかった大変な仕事というのは、彼が敢行したこの国の歴史に残る世紀の大粛正のことだったのだろうか。
 グラディアトリアの先代の治世が血に塗れていることは、アルフレッドももちろん知っている。
 先帝閣下の類稀なる美貌は無表情であるがとても穏やかであり、伝え聞くような恐ろしいことをやってきた人物にはどうしても見えなかったが、そんな少年の戸惑いを見透かすように彼は続けた。
「気が向けば、この城に留まる合間にまた愛でてやってくれ。私には、もう必要のないものなのでな」
「え?」
「今は、もの言わぬ花に癒しを求めずとも、私の全てを癒してくれる存在がいる」
 レイスウェイク大公爵はそう言って、大事そうに腕に抱いた夫人に、それはそれは愛おしげに唇を寄せた。
 そして、顔を真っ赤にした隣国の皇太子を一瞥すると、もう一度さっさと部屋に戻るように忠告し、生い茂る木々の向こうに姿を消した。

「――おい、アルフレッド」
 愛情溢れるレイスウェイク大公爵夫妻の様子に、首筋まで真っ赤になって火照った熱を冷ますため、しばらくの間一人夜顔の前に佇んでいたアルフレッドだったが、階上から自分の名を呼ぶ声が聞こえて、慌てて上を仰ぎ見た。父フランディースの声だ。
「こんな時間にそんな所で何をしている? ん、もしや逢い引きか?」
「違います。眠れないので散歩に出ただけです」
「なに、隠すことはない。気に入った女性がいたなら、父がこちらの皇帝に掛け合ってやろう」
「違いますってば……」
けれどその時ちらりと、黒髪と紫の瞳を持つ少女のように愛らしい姿が脳裏にちらついて、「なに、馬鹿なこと考えてるんだ自分!」と頭を振る息子の心を見透かしたように、フランディースは「しかし」と続けた。
「黒髪の娘は無理だぞ。あれだけは、わしにもおとせなかった」
「――っ……!」
「なんだ、図星か? あれは稀代の皇帝を狭量な男に成り下がらせた、恐ろしい魔性の化身だ。お前のような若造の敵う相手ではないぞ」
 あのレイスウェイク大公閣下も、皇帝時代は多くの女性を囲っていたというが、退位と共に彼女ら全員との関係も縁も切り、その後出会った夫人とが初婚なのだそうだ。
 もともと、パトラーシュ皇帝フランディースのように気が多い方ではなく、女性を侍らすのも政策の一部だったらしいから、二人を同じように考えることはできないかもしれないが、先ほど見たレイスウェイク大公爵がたった一人の奥方を大事にされている様子に、アルフレッドは何だか少し羨ましいような複雑な気持ちを抱いた。
 つい、「父上も、たった一人にしぼっては如何ですか?」と皮肉が口をつきかけたが、今までの経験上父から望む答えが返ってくるとも思えないので、虚しい思いを抱く前にぐっと言葉を飲み込んだ。
 アルフレッドは、そんな父や父の気の多さを許す側妃のことも相変わらず理解出来ないが、それぞれが納得した生き様であるなら口を出すことも、ましてや哀れむことも必要ないのだと、何となく分かってきたような気がした。
 そして、皇太子の生母という皇帝の正妃に相応しい経歴を隠し、皇帝の寵愛を求めない実の母もまた、彼女なりに自分の選んだ道を歩んで幸せなのかもしれないと、初めて思うことができた。
 ただアルフレッドは、この先自分が誰かと家庭を築く機会に恵まれた際には、実の父母ではなくかの大公爵夫妻を手本に、ただひとりの相手を大切にしていこうと心に誓った。

 翌日、グラディアトリア皇帝ルドヴィーク・フィア・グラディアトリアと、ソフィリア・ビス・ロートリアス公爵令嬢の婚儀は盛大に執り行われた。
 アルフレッドは父の隣に並んで座り、赤い絨毯が引かれた通路を挟んだちょうど向こう側に、昨夜出会ったレイスウェイク大公爵夫妻が腰を下ろした。
 明るい場所で改めて見ても、レイスウェイク大公爵の美貌は凄まじく、その夫人はやはりアルフレッドよりも十歳も年上には見えなかったが、その下腹が膨らんでいることは分かった。
 そして、そんなあどけない風情の妊婦を護るように、大公爵と二人で彼女を挟む形で座ったのは、父親譲りの美しい白銀の髪の少年。
 母親が気安く手を振る相手を、不思議そうに覗き込んだ彼と目があったアルフレッドには、その瞳が両親と同じ紫色をしていることが知れた。
 仲睦まじい両親に寄り添った彼を見て、アルフレッドはただ素直に羨ましいなと感じ、ついその思いが呟きとして唇から転がり出てしまった。
 それを隣で聞き止めたらしい父フランディースは一瞬虚を突かれたような顔をし、それから「ううむ」と考え込むように眉間に皺を寄せて腕を組んだかと思うと、大真面目な顔で呟いた。
「では、そろそろもう一度、そなたの母を口説くかの」


 三日後、パトラーシュに戻ったアルフレッドには、皇太子としての政務が待っていた。
 それを補助するのは、ずっとこの国の宰相の役目であり、この日も帰国の挨拶を淡々と済ませて通常業務に移ろうとしたその人に、その時アルフレッドは初めての呼び名で声を掛けた。
「母上」
 幼少時代、隣国グラディアトリアで時の宰相ヒルディベル・フィア・シュタイアー公爵に師事し、現パトラーシュ皇帝フランディースの即位以来彼と二人三脚で国を動かしてきた宰相は、皇太子の言葉に弾かれたように顔をあげ、呆然とした表情で彼を見た。
 その人は、フランディースの腹違いの妹であるルティーナ・ド・パトラーシュ。
 彼女は、十八の年に皇帝の離宮でアルフレッドを生んだ。
 フランディースの父である前皇帝とルティーナの母親は、政略結婚として互いに愛情の欠片もなく夫婦となったに過ぎず、初夜以外二人の間に肉体関係はなかった。
 それなのに一年後側室が身籠った、明らかに己の子ではない赤子を前皇帝が認知したのは、その父親が実は彼の弟であったからだ。
 唯一同腹だったその弟を深く愛していた前皇帝は不義を許し、しかもその子が生まれ出る前に弟が病で急死したことから、彼の忘れ形見としてルティーナを可愛がった。つまりは、フランディースとルティーナは従兄妹にあたり、その事実はパトラーシュにおいて公然の秘密とされている。
 血の濃さから言うと結婚も許される範囲内であり、アルフレッドという子供までいるというのに、二人は結婚はおろか婚約もしていない。
 表向きは義理の兄妹にあたる彼らには複雑な事情があったのだろうが、肉体関係を持ったのは同意の上であり、アルフレッドを生むことも双方が望んだことであるが、宰相ルティーナがフランディースの妻の座に収まることをずっと拒んでいるのが原因であるらしい。

 同じ日、グラディアトリアで息子に告げた通り、パトラーシュ皇帝は改めて宰相にプロポーズしたらしいが、再びすげなく断られて終わったという話は、後にアルフレッドの耳にも届けられた。


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