五臓六腑

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如何にして花は咲く(前編)




 アルフレッド・ロ・パトラーシュは、豊富な資源に潤う大国パトラーシュの皇太子である。
 本来なら母方の血名を名乗るはずが、父である皇帝フランディース・ロ・パトラーシュの血名が使用されているのは、アルフレッドの母親が正式に世間に公表されていないからだ。
 現在、彼は成人を翌年に控えた十五歳。
 身分を隠され離宮で生まれ育ち、九年前、六歳の時に正式に皇太子として王宮に迎え入れられた。
 だからといって、それまで父フランディースが彼を放っておいたわけではない。
 十日に一度はいっぱいの土産物を持って離宮に顔を出し、アルフレッドをたいそう可愛がってくれたので、幼い彼は父親の愛情を疑うことはなかったし、六歳になるまで世間に公表されなかった理由はいまだ知れないまでも、皇太子として過ごす中で大人の事情の複雑さを少なからず学んだ彼は、父にも父なりに何か考えがあったのだろうと思っている。
 淀み無き手腕とカリスマ性で大国を御する皇帝として、アルフレッドはフランディースをとても尊敬しているし、惜しみなく愛情をくれる父親としてとても慕っているが、ただ一つだけ、どうしても好きになれない部分がある。
 いや、納得出来ない性癖があると表現したほうがいいだろうか。
 ――アルフレッドには、五十三人の母がいる。
 “母”といっても、もちろん生んでくれた母ではなく、義理の母。
 つまりは、父フランディースの妻達である。
 彼女達を、アルフレッドが母と呼ぶのは正しくないのかもしれないが、本人達が「母と呼んでちょうだい」と請うのだから仕方がない。
 現在、パトラーシュ皇帝に正妃はいないが、側妃が五十三人も後宮で養われている。
 それなのに、皇帝の子供はアルフレッドただ一人であり、しかも彼はどの側妃が生んだ王子でもないのだ。
 フランディースは五十三人の妻達を心より愛していると公言しているし、その寵も綿密なほど平等にそれぞれに注がれるが、彼女達との間に子を生そうとはしなかった。
「子を産む産まないで差がつくのは頂けない。皆一律平等の立場で幸せにしたい」とは恋多き皇帝の言だが、それならば彼がただ一人子を生すことを求めた相手の女性は、一体何者なのであろうか。
 この事実について、知らされているのは皇帝の特別な忠臣ばかりであり、彼らは主人の許しがない限り一生口を割ることはないだろうし、フランディースがそれを話題にすることを嫌ったので、パトラーシュにおいてアルフレッドの母親を探る行為は禁忌となっている。
 もちろん、アルフレッドが皇太子として王宮に移された当初は、その出自と王家の血を疑う者も少なくはなかったが、彼の目を見ては次々と口を噤んでいった。
 アルフレッドの瞳の色は美しい琥珀色。真っ直ぐな髪も父親譲りの亜麻色だ。
 顔の造形は父フランディースの幼少時代にそっくりであったし、何より瞳の琥珀色はこの大陸においてパトラーシュの王家にしか出ない特別な色彩。
 最悪、父親がフランディースでなかったとしても、アルフレッドが王族の血を濃く受継いでいるのは明白であり、皇帝がこのまま側妃達との間に世継ぎを生さないなら、王族から誰かを皇太子に据えねばならないと頭を悩ませていた周囲は、忽ちのうちに歓迎に転じた。
 一番荒れるだろうと思われたのは後宮の側妃達だったが、彼女達は何故か驚くほど冷静に受け入れた。
 この五十三人の中の誰かが生んだのではない、というのが幸いだったのかもしれない。
 それほど顔を合わす機会があるわけではないが、側妃達はアルフレッドを皆好意的に受け入れ、会えば必ず「ははうえ」と呼ぶようねだった。

 来年成人を迎えるアルフレッドだが、皇帝の座を譲り受けるのはまだまだ先の話である。
 父から学ぶこともまだたくさんあるだろうし、近隣の国々にも足を伸ばして外交の勉強もしたい。
 以前よりそう考えていたアルフレッドは、この度隣国グラディアトリアを訪れる機会を得た。
 かの国の皇帝、ルドヴィーク・フィア・グラディアトリアと、公爵令嬢ソフィリア・ビス・ロートリアスの成婚の儀に、父と一緒に出席するためだ。
 グラディアトリアはフランデースが幼少の頃留学していた国で、国境を接したパトラーシュとは長年友好的な関係を築いてきた同盟国である。
 父はかの国の王族の方々と特別懇意にしていて、お忍びで遊びに行くことも多々あったが、アルフレッドが訪れるのは初めてのことだ。
 式の前日グラディアトリアの城に到着した彼は、我が物顔で王宮を闊歩する父と一緒に若き皇帝陛下との対面に臨んだが、彼は金髪碧眼が美しい優しげで実直な印象であった。
 この夜は、グラディアトリア側からの晩餐の誘いは遠慮して、アルフレッドは王城の図書館にお邪魔した。
 この国の蔵書の多さは有名な話で、まだまだいろいろ勉強したいと思っている彼の知識欲を刺激した。
 上品な司書に数冊貸し出しの手続きをしてもらって、それらを持って馴染みの従者と共に与えられた客室に戻ると、既に用意されていた夕飯をいただき入浴を済ませ、ベッドに横になって本に目を通していた。
 父フリードリヒは今夜の晩餐に出席し、その後この国の王族に縁深い男性ばかりが集まった、「グラディアトリア皇帝独身最後の夜に乾杯」と称した飲み会に飛び入り参加しているらしい。
 今宵は父に就寝の挨拶をするのは無理そうだと、従者を下がらせて適当な時間に眠りに就くつもりだったアルフレッドだが、初めての外国訪問に些か興奮しているのだろうか、どうにもなかなか寝付けない。
 気分転換にと、夜風に当たりにテラスに出た彼の視界の下に広がるのは、この城自慢の見事な庭園である。
 パトラーシュから見てグラディアトリアを挟んだ更に向こうの、農業大国コンラート出身の高名な植物学者ロバート・ウルセルが手掛けたという庭園は、現皇帝ルドヴィークの兄にして、稀代の皇帝と言われた先帝ヴィオラントにも深く愛され、ロバート亡き後もきちんと管理が行き届いている。
 辺りは夜闇に包まれ、昼間咲き誇っていた花々も花びらを閉じてしまっているが、かぐわしい残り香がまだアルフレッドを楽しませてくれた。
 しばしその香りに癒され、さあいい加減そろそろベッドに戻るかと踵を返しかけた時、彼の視界の先を何か白いものがふわりと横切った。
「……?」
 目を凝らして見てみるが、暗いし遠いしでよく見えない。何か、小柄な人影のようであったが、それはすぐさま庭園に茂る木々の葉で見えなくなった。
 何だろう。誰だろう。
 特別な思いがあったわけでもないが、眠気はまだ訪れてはくれなさそうだし、父が戻って来るのにも時間がかかるだろう。
 アルフレッドは夜着の上からガウンを羽織り、客室を出た。
 一応警護として立っていたグラディアトリアの騎士に何処へ行くのかとは尋ねられたが、寝付けないので庭を散歩して来ると正直に言うと、「では、お気を付けて。あまり遅くならないよう、お戻り下さいませ」と微笑んで見送られた。
 グラディアトリアは先の皇帝の大改革により多くの血が流れたらしいが、そのおかげで悪いものが全部出し尽くされて排除され、今は王宮内はとても安全な場所となっている。
 比較的平和とはいえ、たった一人の皇太子に過保護になっているパトラーシュでは、いつ何時も誰かしら従者がくっついていたアルフレッドとしては、王族や賓客といえど他人の干渉が激しくないグラディアトリアの王宮を些か羨ましく感じた。

 途中すれ違った騎士に教えられた、庭に出る最短の扉を開けて足を踏み出したアルフレッドは、まずは己の与えられた客室のテラスの下を目指して歩いた。
 さっき見かけた白い影はもうそこにはいないかもしれないが、思い掛けず近くで見ることになった夜の庭園は、昼間のそれとはまた違った趣があって素晴らしく、おそらく夜の散策用に取り付けられているだろう灯りを頼りに、彼は延びゆく石畳の細道に足を進めた。
 ちょうど目的のテラスの下辺りで、他のものが萎んで頭を垂れてしまっている中で、大きく花弁を開いて佇む白い花を見付けた。
 アルフレッドは植物に詳しくないが、確か夕刻から花を開き始める種であっただろう。
 白く柔らかそうなそれは、先ほど彼の視界を横切った影のようであり、また咲く花を見ると彼は決まって父王を一心に慕う義母達のことを思う。
 正妃になることも、子を産むことも――フランディース・ロ・パトラーシュの特別なただ一人になることも叶わず、けれど愛憎や嫉妬に狂うこともなく、ただひたすら男の愛を信じて微笑む美しい五十三の花達。
 きっともっと幸せになる方法があると思うのに、彼女達が後宮の住人で満足しているのが若いアルフレッドには歯痒く、心の多い父皇帝を不誠実だと罵りたくなることも少なくはない。
 けれど、義母達は皆揃って、幸せだと言うのだ。
 自分はフランディースを愛しているし、彼も自分を愛してくれている。
 側妃が互いに嫉妬し合う必要のない程、公平に寵愛は与えられているし、それに応えるために自分を磨く時間はとても楽しいのだと。
 アルフレッドには理解出来ないし、離宮で彼の世話をしてくれた夫婦の子供で、幼馴染みに当たる少女に意見を求めてもやっぱり「自分の他に奥さんや恋人がいるなんて、絶対に嫌です!」と返ってきた。
 望まれるままに側妃達のことを「ははうえ」と呼ぶが、その度何か申し訳ないような、せつない気分になるのだ。

 上階の一角に、明々と灯りがともっている部屋がある。
 前夜祭に盛り上がるグラディアトリアの皇帝の私室であろうか。
 そこに参加している父が、また見目麗しい侍女に一目惚れして口説くような事態にならないよう願いつつ、ふっと溜め息をついたアルフレッドは白い花から視線を引き剥がし、やはりもう部屋に戻って眠ろうと踵を返したその前に、白い人影が立っていて彼をひどく驚かせた。
「――わあっ……!」
「どうしたの、少年。迷子?」
 突然現れたのは、アルフレッドよりも頭一つ分は小さいだろう人影。
 夜の庭園にともされた灯りに浮かび上がった白いドレスに、彼は自分がここに下りてきた理由を思い出した。
 驚く程近い距離からこちらを見上げる瞳は、紫だろうか。そして、ふわふわと柔らかそうに波打つ髪は、闇に溶ける艶やかな漆黒。
 どちらも、身体に生まれ持つには稀少な色で、もちろんアルフレッドはそんな人間を初めて見た。
 思わずまじまじと眺めてしまった相手は、またそれはそれは可憐な容姿をしていた。
 父の側妃の何人かが愛でているのを見たことがある、黒髪の人形クリスティーナによく似た不思議な魅力に、初心な少年の胸はドキリと高鳴った。
「あの……貴女は……?」
「ん? 私も、迷っちゃったんだよね。いつも手をひかれて歩いていちゃ、駄目ね」
 少女のように見えるが、どこか達観した雰囲気もあって、彼女の年齢を判断するのはアルフレッドには難しかった。
 戸惑う彼を気にもかけず、黒髪の娘はひょいと首を傾けて相手の背後を覗き見ると、「ああ」と合点がいったように頷いた。
「夜顔だね。男の子だけど、花好きなの?」
「特別、そういったわけでは……」
 夜顔というのは、ナス目ヒルガオ科の植物で、ロート形の白い花が夕方から咲き始めて翌朝には萎む。よく、かんぴょうの原料となるウリ科の夕顔と混同されるが、別物である。
「綺麗に咲いてる。気まぐれでも見てあげたら、花も喜ぶよ」
 その夜顔の妖精でもあるかのごとく、同じような色合いと形のドレスで微笑む娘に、アルフレッドの中でずっともやもやとしていたものが口をついて出た。
「……こんな夜闇の中咲いても、一体誰が愛でてくれるというのですか」
「うん?」
「花は、陽の光の元に咲き誇ってこそ美しく、価値があるのではないのですか?」
 それとも、密かに咲くこの花を殊更愛する者がいるとでもいうのだろうか。
 華やかで色とりどりに輝く昼間の花々を愛でつつ、儚く慎ましやかな夜の白い花に真実の愛を囁く者がいるのだろうか。
 アルフレッドは白い花に向き直り、健気に咲く姿をじっと眺めた。
 そんな彼の背中に、黒髪の娘がくすりと柔らかく笑う気配がした。
「花はね、誰かに愛でられたくて咲くんじゃないんだよ。自分自身の為に、美しく花びらを広げるの」
「え?」
「だからね、それが昼間であっても夜であっても、華やかな場所であっても寂れた場所であっても、全然関係ないの。そこに在ることに意味があるのに、勝手に哀れむのはただの根拠のない上から目線。花に失礼だよ」
「……」
 花を見て思い浮かべるのは、父の後宮でその寵愛を糧に生きる、美しい側妃達。
 けれど、夜顔という闇に咲く白い花を見て思いを馳せたのは、明るい陽光を自ら避け、そっと慎ましやかに生きるひと。
 アルフレッドという大国の皇太子を産み落としながら、皇帝の妻の座に上ることを拒んだ、実の母親の姿だった。
 アルフレッドも、本当の母親が誰であるのか知っている。
 彼女は今も健在で、王宮では皇帝とも皇太子とも身近に過ごしながら、ただ一人の世継ぎを生んだことを周囲に匂わせることもない。
 後宮の側妃達を不遇だと勝手に哀れむと共に、生母もまた幸せなはずがないと思っていたアルフレッドは、もしかしたら母達にとても失礼だったのかもしれないと、この黒髪の娘の言葉に胸を衝かれた。
「この庭の花はね、みんな特別計算し尽くされて植えられたんだって。植えた人はここにこの時間、この夜顔が花開くことを望んでたんだよ」
「……その方なら、名前だけなら知っています。ロバート・ウルセル、コンラートの植物学者ですよね」
「うん、でもこの辺りの木や花は、ロバートさんの弟子が植えたんだって。その人は掛け持ちでとてもしんどい仕事をしていたから、夜寝る前にこっそり一人で夜顔の花を見て、ちょっとは癒されてたみたいよ?」
「……そうなのですか」
 この慎ましやかな花を、誰かが望み愛でたのだという。
 そしてこの花のような生母もまた、望み望まれ花開き、今も幸せなのだろうか。
 その望んだ相手が、フランディース・ロ・パトラーシュだったのだろうか。
 いずれ、アルフレッドも成人すれば妻を頂き、世継ぎを考えるようになるだろう。
 彼にとって、父の恋愛事情は反面教師にしかなり得ないと思っていたが、それは幼く誤った認識だったのかもしれないと、この時少し思い直した。


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