蔦城攻略(前編)
※蔦王パラレル
背中はふかふかのベッドに沈み込み、素肌は温かな人肌に包まれて、菫はひどく心地よい微睡みの中にいた。
鼻腔を満たすのは、最も身近で最も信頼できる相手の香り。
彼女にとって無二の存在がすぐ側にいる。
ふわふわと夢見心地のまま菫が幸せそうに微笑むと、弧を描いたその唇をしっとりと塞ぐものがあった。
「――んっ……ふ」
優しく啄まれるのが心地よくて、そろりと手を伸ばすと、自分の上に覆い被さる大きな存在に気付く。
重い瞼を叱咤して薄く開くと、鏡かと見紛う程に自分と同じ色合いの瞳にかち合った。
同時に緩んだ唇の中に、熱いものがぬるりと押し入ってくる。
「――うっん……ん……?」
「目が覚めたか……」
一頻り菫の口内を味わい尽くすと、相手の舌は名残惜し気に去って行った。
かと思ったら、今度は彼女の顔中にキスを与え、尖った歯がピアスの嵌った耳たぶをがじがじと甘噛みする。
「――って、ヴィー!? なに、その牙っ!」
「さあ?」
菫がキスを許す相手は、他の誰でもない、夫となったヴィオラントだけだ。
そして、目を開けた先に見付けた美貌は間違いなく彼であったし、菫に触れる優しい手も確かに夫のものであったが、彼の形良い薄い唇から垣間見えたのは、おおよそ人間のものとは思えない、鋭く伸びて発達した犬歯。
まるで、吸血鬼か獣のような……と思った瞬間、菫の頭の中に記憶が映像として膨れ上がった。
『菫は、常春の国グラディアトリアの王女――スミレ姫。
今日は彼女の結婚式。国王の一人娘は隣国から第三王子を婿に頂き、将来女王になるのだ。』
「――なにコレっ、この設定! どうなっちゃってるの?」
「私にも分からぬ。とにかくそなたを探して彷徨っていたら、他の男と結婚式をあげようとしているのを見付けたので、有無を言わさず浚ってきた」
「……浚って?」
「妻が己以外の者と愛を誓い合うなど、夢であろうと許せぬ」
そう言って眼光鋭くあらぬ方を睨み据えたヴィオラントを、まじまじと眺めた菫の頭の中に、「ポンッ」と効果音付きで浮かんできた言葉は――
「……魔王」
『ヴィオラントは、全ての魔物を統べる闇の王。
何者も寄せ付けぬ怜悧な美貌は、無力で幼いスミレ姫の前だけでは、柔らかく雪解けするように綻ぶのだ。
数多の血に塗れた掌も、彼女にだけは壊れ物を扱うかのように繊細に触れる』
「いかにも――私は魔王であるらしい。気が付けばこの城にいて、異形の者達に傅かれた」
そうさらりと述べたヴィオラントの言葉に、「――城?」と呟いた菫はベッドを飛び降り、窓辺に駆けた。
大窓を押し開きテラスへ出て、ちょんと爪先立ちして高い手摺から下を覗き込む。
「おおお~……っ! ダンジョンっ……!?」
――ヒュオオオ……と、階下では冷たい風が吹き荒び、地面は遥か遠く雲の下。
一体ここは何階建てですか――と、問わずにはいられない程の超高層建造物は、まさに悪の親玉たる魔王陛下の牙城である。
ゲームなんかで、勇者ご一行がせっせと攻略を試みる、敵のダンジョンそのものだった。
「うわ~、たか~、すんげ~」と、一頻り空中展望台並みの眺めを満喫していた菫は、ベッドに腰掛けたままの魔王ヴィオラントが不満げに眉間に皺を拵えたことに気付かなかった。
そして、彼がぱちんと軽く指を鳴らしたことも知らず、そのせいで自分の身体が宙に浮くとは思ってもみなかった。
「――って、えっ? わっ……!」
ふわふわと宙に浮き上がった菫は、そのまま開け放った窓を通り部屋を横切り、ヴィオラントの前に辿り着いてようやく、浮遊の術から解放された。
「魔王となった私は、魔術なるものも使えるらしい」
「ふぁ……ふぁんたじー……」
ぽすんと落とされた彼の膝は、見るからに上質の黒いズボンに包まれ、裾の長いジャケットの下にはきっちりしたドレープの白いシャツ。全体的な装いとしては、ハロウィンの仮装の時の吸血鬼に良く似ている。
対する菫の格好は、結婚式の最中に浚ったというヴィオラントの言葉通り、真っ白いウェディングドレスだった。現実のヴィオラントとの結婚式に着たものよりは幾らかシンプルながら、明らかに贅を尽くして拵えられただろうそれを、菫を膝に抱いた魔王はさも忌々し気に睨み据えた。
「ヴィー?」
「私以外の、一体誰に嫁ぐつもりでいた……?」
普段は凪いだ紫の瞳が苛立ち、怒りに滾っているのが分かった。わけの分からぬ婿取り設定は菫のせいではないというのに、彼の瞳が明らかに「お仕置きだな」と言っている。
ふわんとベッドに戻されたかと思うと、しゅるしゅると何処からともなく蔓が伸びてきて、菫の両手首をそっと縛り上げた。
「わっ、セバスチャンじゃん」
「彼も、私の忠実なる僕である」
抑揚のない冷たい声でそう告げたヴィオラントは、蔦に拘束されて身動きの取れない少女の顎を掴み、深く噛み付くように口付けた。もちろん、鋭い牙が可愛い妻を傷付けないように、注意は怠らない。
薔薇色に頬を染めて従順に応える様に目を細め、顎を掴んでいた男の手はそっと少女の首筋を辿り、優しく小さな肩を撫でたかと思うと、襟元を掴んで一気に引き裂いた。
「――――!?」
「他の男の為のドレスなどに、いつまでもそなたの身を包むこと許さん」
びりびりと、紙でも破るように容易くドレスをヴィオラントに裂かれながら、菫の頭を満たすのは“貞操の危機”に対する恐怖ではなく、「モッタイナイ、モッタイナイ」の勿体ないおばけの心配だった。
間もなく、豪奢なウェディングドレスは山盛りの端切れに成り代わり、薄い肌着一枚に剥かれた少女は、両手を拘束されたまま諦めの溜め息を吐いた。
そうまでしても、いまだ怒り覚めやらぬらしい魔王は、無垢な姫の剥き出しの鎖骨を甘噛みし、キャミソールドレスの細い紐に牙を引っかけ、肩から落とす。
「ヴィー」
甘い声で名を呼ばれ顔を上げると、慎ましやかな薄紅色の唇が笑みの形に持ち上がり、ヴィオラントがその柔らかさに誘われるようにもう一度口付けようとした、その時――
「そこまでだ――!!」
――バターーーーン!!
テラスの対面にある大きな扉を押し開き、大声で叫びながら何者かが侵入してきた。
背中はふかふかのベッドに沈み込み、素肌は温かな人肌に包まれて、菫はひどく心地よい微睡みの中にいた。
鼻腔を満たすのは、最も身近で最も信頼できる相手の香り。
彼女にとって無二の存在がすぐ側にいる。
ふわふわと夢見心地のまま菫が幸せそうに微笑むと、弧を描いたその唇をしっとりと塞ぐものがあった。
「――んっ……ふ」
優しく啄まれるのが心地よくて、そろりと手を伸ばすと、自分の上に覆い被さる大きな存在に気付く。
重い瞼を叱咤して薄く開くと、鏡かと見紛う程に自分と同じ色合いの瞳にかち合った。
同時に緩んだ唇の中に、熱いものがぬるりと押し入ってくる。
「――うっん……ん……?」
「目が覚めたか……」
一頻り菫の口内を味わい尽くすと、相手の舌は名残惜し気に去って行った。
かと思ったら、今度は彼女の顔中にキスを与え、尖った歯がピアスの嵌った耳たぶをがじがじと甘噛みする。
「――って、ヴィー!? なに、その牙っ!」
「さあ?」
菫がキスを許す相手は、他の誰でもない、夫となったヴィオラントだけだ。
そして、目を開けた先に見付けた美貌は間違いなく彼であったし、菫に触れる優しい手も確かに夫のものであったが、彼の形良い薄い唇から垣間見えたのは、おおよそ人間のものとは思えない、鋭く伸びて発達した犬歯。
まるで、吸血鬼か獣のような……と思った瞬間、菫の頭の中に記憶が映像として膨れ上がった。
『菫は、常春の国グラディアトリアの王女――スミレ姫。
今日は彼女の結婚式。国王の一人娘は隣国から第三王子を婿に頂き、将来女王になるのだ。』
「――なにコレっ、この設定! どうなっちゃってるの?」
「私にも分からぬ。とにかくそなたを探して彷徨っていたら、他の男と結婚式をあげようとしているのを見付けたので、有無を言わさず浚ってきた」
「……浚って?」
「妻が己以外の者と愛を誓い合うなど、夢であろうと許せぬ」
そう言って眼光鋭くあらぬ方を睨み据えたヴィオラントを、まじまじと眺めた菫の頭の中に、「ポンッ」と効果音付きで浮かんできた言葉は――
「……魔王」
『ヴィオラントは、全ての魔物を統べる闇の王。
何者も寄せ付けぬ怜悧な美貌は、無力で幼いスミレ姫の前だけでは、柔らかく雪解けするように綻ぶのだ。
数多の血に塗れた掌も、彼女にだけは壊れ物を扱うかのように繊細に触れる』
「いかにも――私は魔王であるらしい。気が付けばこの城にいて、異形の者達に傅かれた」
そうさらりと述べたヴィオラントの言葉に、「――城?」と呟いた菫はベッドを飛び降り、窓辺に駆けた。
大窓を押し開きテラスへ出て、ちょんと爪先立ちして高い手摺から下を覗き込む。
「おおお~……っ! ダンジョンっ……!?」
――ヒュオオオ……と、階下では冷たい風が吹き荒び、地面は遥か遠く雲の下。
一体ここは何階建てですか――と、問わずにはいられない程の超高層建造物は、まさに悪の親玉たる魔王陛下の牙城である。
ゲームなんかで、勇者ご一行がせっせと攻略を試みる、敵のダンジョンそのものだった。
「うわ~、たか~、すんげ~」と、一頻り空中展望台並みの眺めを満喫していた菫は、ベッドに腰掛けたままの魔王ヴィオラントが不満げに眉間に皺を拵えたことに気付かなかった。
そして、彼がぱちんと軽く指を鳴らしたことも知らず、そのせいで自分の身体が宙に浮くとは思ってもみなかった。
「――って、えっ? わっ……!」
ふわふわと宙に浮き上がった菫は、そのまま開け放った窓を通り部屋を横切り、ヴィオラントの前に辿り着いてようやく、浮遊の術から解放された。
「魔王となった私は、魔術なるものも使えるらしい」
「ふぁ……ふぁんたじー……」
ぽすんと落とされた彼の膝は、見るからに上質の黒いズボンに包まれ、裾の長いジャケットの下にはきっちりしたドレープの白いシャツ。全体的な装いとしては、ハロウィンの仮装の時の吸血鬼に良く似ている。
対する菫の格好は、結婚式の最中に浚ったというヴィオラントの言葉通り、真っ白いウェディングドレスだった。現実のヴィオラントとの結婚式に着たものよりは幾らかシンプルながら、明らかに贅を尽くして拵えられただろうそれを、菫を膝に抱いた魔王はさも忌々し気に睨み据えた。
「ヴィー?」
「私以外の、一体誰に嫁ぐつもりでいた……?」
普段は凪いだ紫の瞳が苛立ち、怒りに滾っているのが分かった。わけの分からぬ婿取り設定は菫のせいではないというのに、彼の瞳が明らかに「お仕置きだな」と言っている。
ふわんとベッドに戻されたかと思うと、しゅるしゅると何処からともなく蔓が伸びてきて、菫の両手首をそっと縛り上げた。
「わっ、セバスチャンじゃん」
「彼も、私の忠実なる僕である」
抑揚のない冷たい声でそう告げたヴィオラントは、蔦に拘束されて身動きの取れない少女の顎を掴み、深く噛み付くように口付けた。もちろん、鋭い牙が可愛い妻を傷付けないように、注意は怠らない。
薔薇色に頬を染めて従順に応える様に目を細め、顎を掴んでいた男の手はそっと少女の首筋を辿り、優しく小さな肩を撫でたかと思うと、襟元を掴んで一気に引き裂いた。
「――――!?」
「他の男の為のドレスなどに、いつまでもそなたの身を包むこと許さん」
びりびりと、紙でも破るように容易くドレスをヴィオラントに裂かれながら、菫の頭を満たすのは“貞操の危機”に対する恐怖ではなく、「モッタイナイ、モッタイナイ」の勿体ないおばけの心配だった。
間もなく、豪奢なウェディングドレスは山盛りの端切れに成り代わり、薄い肌着一枚に剥かれた少女は、両手を拘束されたまま諦めの溜め息を吐いた。
そうまでしても、いまだ怒り覚めやらぬらしい魔王は、無垢な姫の剥き出しの鎖骨を甘噛みし、キャミソールドレスの細い紐に牙を引っかけ、肩から落とす。
「ヴィー」
甘い声で名を呼ばれ顔を上げると、慎ましやかな薄紅色の唇が笑みの形に持ち上がり、ヴィオラントがその柔らかさに誘われるようにもう一度口付けようとした、その時――
「そこまでだ――!!」
――バターーーーン!!
テラスの対面にある大きな扉を押し開き、大声で叫びながら何者かが侵入してきた。
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