乙女の秘密
「ミリアンちゃん、ミリアンちゃん」
「うん? どうしたのスミレ?」
「あのね、あのね、おねえちゃまのお願い、聞いてくれる?」
妊娠を期に騎士団を休職中のミリアニスは、実は自宅であるオルセオロ公爵邸がレイスウェイク家に近いこともあり、頻繁に菫を訪ねるようになっていた。
剣を振り回す職業に似合わず、温和で穏やかな性格のミリアニスは、兄ヴィオラントにとっても、愛妻にくっ付けておいて一番安心な人材だったりする。
「お願いって、何かな? 私にできることなら、何でも言って」
ミリアニスの方としても、小さな“おねえちゃま”は微笑ましく愛おしく、実の妹のように可愛がっている。
本日は珍しく、別室で来客の相手をしている兄に、直々に彼女のお守りを任されて、至極ご満悦の午後を過ごしていた。
そんな愛すべきミリアニスの義姉上は、柔らかそうな頬を薔薇色に染め、ふわっふわの黒髪を揺らせて、上目遣いに見つめてきた。
「あのねぇ‥‥私も、剣術習いたい」
「あ、うん。‥‥い、いやっ! 絶対に、だめっ!」
その様子が余りにも可愛らしかったものだから、ミリアニスは思わず頷いてしまったが、頭の中で反芻したそのお願いの内容に、駄目駄目絶対駄目っ!っと、捥げそうな程首を左右に振った。
「そんなこと、兄上がお許しになるはずないだろう?」
「だから、ミリアンにお願いしたのー」
「駄目だよ、無理だよ。スミレに剣を持たせるなんて、怖過ぎる!」
「別に、本物の剣じゃなくても、木刀とか、それこそ木の枝でもいいんだけど」
「え?」
菫は、別に騎士団に入れるような、実戦で役立つ剣術を習いたいと言っているのではない。
どうやら、剣術に伴う鍛錬や、その型にこそ興味を持っているようだった。
「どうしてまた、急にそんなこと言い出したの?」
「うん、あのね、私も腹筋鍛えようかと思って」
「腹筋?」
ミリアニスは、思わずちんまりとした義姉の、柔らかなシフォンワンピースに隠された腹部に注目した。
「腹筋って、どうやったら割れるの?」
「えっ?」
「人生で一回くらい、腹筋割ってみたい」
「ええっ?」
菫は普段から、世の貴婦人達が着るような、ウェストを締め上げたドレスは身に着けていないし、ミリアニスもまだ腹が膨らむ時期ではないにしろ、生母や姑が締め付けるのはよくないと口を揃えて言うので、すとんと緩やかなドレスを着用している。
「ミリアンは、鍛えてたんでしょう? 割れてるの?」
確かに、普通の淑女に比べれば、騎士団の中でも女ながら副団長を務めるミリアニスは、全体的に筋肉が発達しているだろうし、訓練でそれを鍛えていたのだから、腹部も幾らか筋肉質になっているかもしれないが、さすがに夫ジョルトのように、腹筋が割れているなんてことはない。
しかし実は、強さを追い求めたミリアニスも、少なからず割れた腹筋に憧れた時期があった。
ジョルトや、兄ヴィオラントの無駄無く引き締まった筋肉に、性別の壁を感じて悔しい思いに唇を噛んだこともある。
兄の愛妻である菫も、おそらく彼の優美で完璧な肢体に身近に触れ、淡く無邪気な憧れを抱いたのではなかろうか。
それが、あまり乙女らしくない憧れだとは、少女時代を男臭い騎士団で過ごしたミリアニスには、ちょっと気付けなかったが。
「気持ちは、分かるけれど。剣術を少しかじったくらいでは、そう簡単に筋肉はつかないよ。特に、腹筋を鍛えるのなら、もっと基礎的な鍛錬が必要なんじゃないかな」
「それ、大変?」
「うん、大変だよ。私もたくさん頑張ったけれど、腹筋は残念ながら割れなかったなぁ‥‥」
「うーん、ミリアンでも無理なら、やっぱり無理か‥‥」
菫は残念そうに呟き、ミリアニスの若干堅めの腹を撫で、本当にシックスパックの手応えがないことを確認した。
そして、双子の姉アマリアスとセットで“グラディアトリアの宝珠”と讃えられる、ミリアニスの母譲りの美貌を見上げ、まあこの顔で腹筋割れてたら詐欺だな、と一人納得した。
ちなみに、菫の保護者のような旦那様の腹筋は、程よく割れていらっしゃる。
ムキムキの筋肉だるまではなく、今流行りの細マッチョというやつだ。
ちびっ子な菫が腹の上でぴょんぴょんしても、余裕でエロい体勢に持っていけるほどに、鍛えられている。
ミリアニスもお返しに、菫のぺったんこの腹を、服の上から撫でてみた。
薄いのに、ふにっと柔らかい感触は、何とも温かくて掌に心地よい。
あまりに気持ちのいい手触りに、つかの間夢中になっていると、くすぐったいじゃないかと笑って抗議された。
と、ここで、接客の終わったらしいヴィオラントの登場である。
「‥‥‥何をやっているのか、聞いてもいいか?」
その時彼が見たのは、お互いの服をめくってお腹の見せ合いっこをする、妻と妹の姿だった。
お馴染みの無表情の下で、盛大に困惑を浮かべた夫に向い、菫はつるんと滑らかな白い腹と、ちょこんと可愛い小さな臍を晒したまま、ツンと澄ました顔をして言い放った。
「ダメよ、これは乙女の秘密」
ヴィオラントにとって、乙女は謎だらけの生き物だった。
そして、菫の腹筋が割れることは、残念ながら一生なかった。
「うん? どうしたのスミレ?」
「あのね、あのね、おねえちゃまのお願い、聞いてくれる?」
妊娠を期に騎士団を休職中のミリアニスは、実は自宅であるオルセオロ公爵邸がレイスウェイク家に近いこともあり、頻繁に菫を訪ねるようになっていた。
剣を振り回す職業に似合わず、温和で穏やかな性格のミリアニスは、兄ヴィオラントにとっても、愛妻にくっ付けておいて一番安心な人材だったりする。
「お願いって、何かな? 私にできることなら、何でも言って」
ミリアニスの方としても、小さな“おねえちゃま”は微笑ましく愛おしく、実の妹のように可愛がっている。
本日は珍しく、別室で来客の相手をしている兄に、直々に彼女のお守りを任されて、至極ご満悦の午後を過ごしていた。
そんな愛すべきミリアニスの義姉上は、柔らかそうな頬を薔薇色に染め、ふわっふわの黒髪を揺らせて、上目遣いに見つめてきた。
「あのねぇ‥‥私も、剣術習いたい」
「あ、うん。‥‥い、いやっ! 絶対に、だめっ!」
その様子が余りにも可愛らしかったものだから、ミリアニスは思わず頷いてしまったが、頭の中で反芻したそのお願いの内容に、駄目駄目絶対駄目っ!っと、捥げそうな程首を左右に振った。
「そんなこと、兄上がお許しになるはずないだろう?」
「だから、ミリアンにお願いしたのー」
「駄目だよ、無理だよ。スミレに剣を持たせるなんて、怖過ぎる!」
「別に、本物の剣じゃなくても、木刀とか、それこそ木の枝でもいいんだけど」
「え?」
菫は、別に騎士団に入れるような、実戦で役立つ剣術を習いたいと言っているのではない。
どうやら、剣術に伴う鍛錬や、その型にこそ興味を持っているようだった。
「どうしてまた、急にそんなこと言い出したの?」
「うん、あのね、私も腹筋鍛えようかと思って」
「腹筋?」
ミリアニスは、思わずちんまりとした義姉の、柔らかなシフォンワンピースに隠された腹部に注目した。
「腹筋って、どうやったら割れるの?」
「えっ?」
「人生で一回くらい、腹筋割ってみたい」
「ええっ?」
菫は普段から、世の貴婦人達が着るような、ウェストを締め上げたドレスは身に着けていないし、ミリアニスもまだ腹が膨らむ時期ではないにしろ、生母や姑が締め付けるのはよくないと口を揃えて言うので、すとんと緩やかなドレスを着用している。
「ミリアンは、鍛えてたんでしょう? 割れてるの?」
確かに、普通の淑女に比べれば、騎士団の中でも女ながら副団長を務めるミリアニスは、全体的に筋肉が発達しているだろうし、訓練でそれを鍛えていたのだから、腹部も幾らか筋肉質になっているかもしれないが、さすがに夫ジョルトのように、腹筋が割れているなんてことはない。
しかし実は、強さを追い求めたミリアニスも、少なからず割れた腹筋に憧れた時期があった。
ジョルトや、兄ヴィオラントの無駄無く引き締まった筋肉に、性別の壁を感じて悔しい思いに唇を噛んだこともある。
兄の愛妻である菫も、おそらく彼の優美で完璧な肢体に身近に触れ、淡く無邪気な憧れを抱いたのではなかろうか。
それが、あまり乙女らしくない憧れだとは、少女時代を男臭い騎士団で過ごしたミリアニスには、ちょっと気付けなかったが。
「気持ちは、分かるけれど。剣術を少しかじったくらいでは、そう簡単に筋肉はつかないよ。特に、腹筋を鍛えるのなら、もっと基礎的な鍛錬が必要なんじゃないかな」
「それ、大変?」
「うん、大変だよ。私もたくさん頑張ったけれど、腹筋は残念ながら割れなかったなぁ‥‥」
「うーん、ミリアンでも無理なら、やっぱり無理か‥‥」
菫は残念そうに呟き、ミリアニスの若干堅めの腹を撫で、本当にシックスパックの手応えがないことを確認した。
そして、双子の姉アマリアスとセットで“グラディアトリアの宝珠”と讃えられる、ミリアニスの母譲りの美貌を見上げ、まあこの顔で腹筋割れてたら詐欺だな、と一人納得した。
ちなみに、菫の保護者のような旦那様の腹筋は、程よく割れていらっしゃる。
ムキムキの筋肉だるまではなく、今流行りの細マッチョというやつだ。
ちびっ子な菫が腹の上でぴょんぴょんしても、余裕でエロい体勢に持っていけるほどに、鍛えられている。
ミリアニスもお返しに、菫のぺったんこの腹を、服の上から撫でてみた。
薄いのに、ふにっと柔らかい感触は、何とも温かくて掌に心地よい。
あまりに気持ちのいい手触りに、つかの間夢中になっていると、くすぐったいじゃないかと笑って抗議された。
と、ここで、接客の終わったらしいヴィオラントの登場である。
「‥‥‥何をやっているのか、聞いてもいいか?」
その時彼が見たのは、お互いの服をめくってお腹の見せ合いっこをする、妻と妹の姿だった。
お馴染みの無表情の下で、盛大に困惑を浮かべた夫に向い、菫はつるんと滑らかな白い腹と、ちょこんと可愛い小さな臍を晒したまま、ツンと澄ました顔をして言い放った。
「ダメよ、これは乙女の秘密」
ヴィオラントにとって、乙女は謎だらけの生き物だった。
そして、菫の腹筋が割れることは、残念ながら一生なかった。
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