節分
「スミレ、兄上から預かりものだぞ」
「いらない」
「そう言うな。何やら、そなたの国に古くから伝わる風習で、厄よけの意味があるそうではないか」
「いいの、ヴィーは何でもかんでも日本の風習に感化されなくても。お兄ちゃんはただの行事好きだから、いちいち付き合わなくてもいいの」
「そう言って、そなたが受け取ってくれないと泣きつかれて、あまりに哀れなので受け取ってしまった」
「もー」
「兄上をあまり邪険にするものではない。そなたをいつも気にかけてくれているのだ。たまには、付き合ってやりなさい」
「ヴィー、説教くさい」
「それで、これは何だろう。豆と‥‥筒型のオニギリだろうか? 具が華やかで良いではないか」
「それね、太巻き。今回の場合は恵方巻とも言うけど。節分の夜に、その年の恵方に向かって丸かじりするんだよ。豆は、炒った大豆ね。邪気払いに使うの」
「セツブンとは?」
「ヴィーは、知りたがり屋さんだね。おさるのジョージみたいだね」
「私のそなたへの興味は、果てしないとも」
「‥‥‥まあ、いいけど。節分っていうのはね、季節の変わり目に生じる邪気を追い払う、いわゆる悪霊払いだよ。日本での二月三日‥‥今日だねーーに、“鬼外福内”を唱えて豆を撒くの」
「兄上は、豆とこのエホウマキとやらを、そなたに食べさせろと言っていたが?」
「うん、豆はね、撒いた豆を自分の年の数だけ食べるの。それか、自分の年より一つ多く豆を食べると、身体が丈夫になって風邪をひかないって言い伝えがあるんだよ」
「なるほど、ではそなたは十七個食べなさい。伝承というのは、何かしら意味があるものだ。先人の知恵というのは時に素晴らしい」
「あんまり、美味しくないんだってば。ヴィーも食べてみればいいんだよ」
「後ほど、そなたと一緒に頂こう。それで、エホウマキにもしきたりがあるのか?」
「恵方に向かって目を瞑って、願い事を思い浮かべながら、一言も喋らないで最後まで食べなきゃ駄目なんだよ」
「この大きさを、一人でか? それはなかなか難儀だな」
「でしょ? だからとりあえず、豆だけ撒こうよ。ほらほら、野鳥の皆さん、ご飯だよ~」
「いや、こちらもちゃんと食べなさい。受け取った以上は責任を果たさねば、兄上に申し訳が立たない」
「じゃあ、切って食べようよ」
「一本丸かじりでなければ、意味がないのだろう?」
「だって、大き過ぎて口に入んないもん。太いんだもん」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥ヴィー、なんで今、エロい目したの?」
「そなたは‥‥まったく、私の無表情を過たず読む」
「いたいけな乙女には防衛本能が働くんだよ」
「その可愛らしい口に、無理矢理突っ込みたくはないのだ。言う事をききなさい」
「もー、頑固なとこまでお兄ちゃんに同調しなくていいよぉ。‥‥ちょっ‥‥無理矢理はイヤだってばっ!」
「では、自分で口を開けなさい」
「はいはい、わかったわかった」
「‥‥‥‥いい子だ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥んっ‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥ふ‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥んふ‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥スミレ」
「‥‥‥ーーーーーーっ!?」
「しー。黙って食べなければ、意味がないのだろう」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「しかし、確かにそなたにこれ一本全部は、大きすぎるな。‥‥手伝おう」
極太の巻寿司を一生懸命にほうばる幼妻の姿に、何やら「むらっ」と、もよおしたらしいヴィオラントは、彼女の小さな身体を軽々と両腕で抱き上げた。
この時、ヴィオラントと菫が居たのは、レイスウェイク家の当主の私室であった。
それはつまり、野咲家と壁越しに繋がっている、今や双方の家の家族が集まるリビング言っていい場所だ。
当然、透けた壁の向こう側で生活する菫の家族が、前触れもなくやってくるのもいつものことであり、兄優斗が鼻歌混じりにドアを押し開けようとて何ら問題はない。
ただ、彼がその部屋に足を踏み入れた瞬間の、レイスウェイク家側の光景は、彼にとっては問題大有りな状況であったが。
「ばっ!? ばっ、ばっ、ばっかもーーんっ! 公衆の面前で、何やってんだ、お前らぁーーーっっ!!」
優斗の視界に飛び込んできたのは、彼の可愛い可愛い妹が、ソファに腰を下ろした銀髪の超絶美形の膝に抱き上げられて、太巻きを頬張っている姿だった。
それだけなら、まだよかった。
妹に節分の縁起物である恵方巻を食わせるように、つい先程銀髪の男に依頼したのは、優斗本人だったのだから。
しかし、小さな口に入り切らない太巻きを四苦八苦しながら咀嚼する妹を、かの男はそれはそれは可愛くて堪らないというような蕩けた目で見つめながら、何とそれを反対の端から齧っているではないか。
優斗は、何故か顔面に血液が集まる自身を誤摩化すように、大きな声で怒鳴った。
「それをやっていいのは、ポッキーだけじゃあ!!」
もちろん、優斗がやって来た事には気付いていたヴィオラントと菫だったが、「恵方巻は食べ終わるまで喋ってはならない」という習わしを盾に、顔を真っ赤にして抗議する兄を堂々と無視した。
可哀想な兄は妹夫婦が恵方巻を仲良く食べる姿を見せつけられて、牙を剥いて唸る番犬のように壁の向こうで苛々していたが、彼らがそれを食べ終わるまでひどく時間を要した上に、棒状の物を向かい合わせに食べる二人の唇の行き着く先は当然相手の唇であり、そのまま濃厚なキスシーンを披露された兄の頭の中で、遂にはぷちんと何かが切れて、お面が必要のない程の鬼の形相に変化した。
もちろん、菫は壁の穴に腕まで差し入れ、遠慮なくその鬼に豆を打つけてやった。
菫が、太巻きを食べる時に今年の恵方を向くのを忘れていたと気付くのは、寝支度をしてベッドに入った後であったが、いつも通りお得意の「ま、いっか」で済まされた。
特別太巻きに願いを託さなくても、菫の願いなら大抵を叶えてくれる甲斐性を持った男の両腕に包まれて、今夜も温かな眠りに就くのだった。
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