男子会
男子会
『蔦王』『瑠璃とお菓子』『雲の揺りかご』の男子達による、
さらに赤裸々なお話
階下には、実に華やかな光景が広がっていた。
色とりどりに咲く花々と瑞々しい緑の庭に、真っ白いテーブルクロスの掛かった円卓を囲む淑女が四人。
黒い頭が二つと、金色と栗色のそれが一つずつ。
午後の木漏れ日に艶やかな髪をきらめかせ、各々の身を包むドレスもまた庭に咲く花のよう。
それを三階のテラスから眺め、コンラートの国王ラウル・ウェル・コンラートは「あ~あ」とため息をついた。
「女の子達、可愛いなぁ。いいなー、僕もあっちでお茶を飲みたい」
その呟きに、「おや」と視線を向けたのは、グラディアトリアの宰相クロヴィス・オル・リュネブルク公爵。
彼は得意の紅茶をカップに注ぎながら、いろいろ含んだような笑みと穏やかな声で告げた。
「女装でもなさって参加されればいかがです? あなたの兄上はお得意でしょう」
「ああ、うん、リヒト兄ちゃんのことね……って、嫌だよ、女装なんてっ! それをネタに、一生弄られるに決まってるじゃないか!」
「はい、外交にも利用します」
「やめてぇ!」
そんな二人のやりとりを聞くともなしに眺めていたのは、この屋敷の当主でありクロヴィスの兄でもあるヴィオラント・オル・レイスウェイク大公爵。
そして、同じく紅茶を飲みつつ無感動にラウルを眺めているのは、彼の三番目の兄であるルータス・ウェル・コンラート。
ヴィオラントとルータスは、弟達から逸らした視線を同時に庭へと向けた。
彼らがじっと見つめるのは、ともにこの世界では珍しい黒髪に包まれた頭。
ヴィオラントの視線を感じ、ふわふわの黒髪――彼の愛妻スミレが顔を上げ、にこりと愛らしく微笑んで手を振った。
彼はそれに万年無表情を柔らかく緩め、小さく手を上げて返す。
一方ルータスの視線を感じて、さらさらの黒髪を揺らして顔を上げたのは、彼の想い人であるイクコ。
社会経験豊富で落ち着いた雰囲気のイクコは、無邪気に手を振るスミレに微笑みながら、ルータスにも小さく笑みを向けた。
お茶会は、貴婦人達の社交の場。
女性陣が何を話しているのか、三階のテラスまでは声が届かないので分からない。
ただ、レイスウェイク家の庭園で開かれている本日の茶会は、世間一般の貴族のそれのような見栄や牽制は少しもない。
仲の良い女性達が親しげに歓談する光景は、実に微笑ましいものだ。
ヴィオラントもルータスも、穏やかな気持ちで彼女達を見守っていた。
だというのに。
欄干から身を乗り出して女子会を見下ろしていたラウルが、余計なことを言い出した。
「ねえ、知ってる? あんなに可憐にきゃっきゃうふふしてると見せかけて、女の子達ってば実際は結構えげつない会話してたりするんだよ」
「……」
おそらく、それは高い確率で事実だろう。
しかし、せっかく楽しそうなスミレを眺めて和んでいたヴィオラントの気分を大いに害した。
ルータスは、“えげつない会話”に心当たりがないのか、よく分からないというように首を傾げている。
そして、テーブルに戻ってきたラウルにカップを差し出し、兄ヴィオラントの隣の席に腰を下ろしたクロヴィスは、自分の入れた紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「私のルリを、アマリアス姉上と同等に扱わないでいただきたい。彼女は義母上に純粋培養されてきたのですからね」
そう言って、青い目を細めて階下を見下ろしたクロヴィスの視線は、個性的な面々の側で控えめに咲く慎ましい花を捉える。
いつもは纏めて結ってある栗毛を今日は背に流し、侍女のお仕着せを彼が贈った涼やかな色合いのドレスに着替えた可憐な少女。
ルリはテラスのクロヴィスに気づくと、慕わしげな笑みを浮かべて会釈した。
それに柔らかく目を細めているクロヴィスの横顔をジトーとねめつけ、ラウルは子供のように口を尖らせる。
「僕の奥さんだって、皇太后陛下とヴィオラントに純粋培養されてきたはずだけど?」
「そんな方が、これまで兄上に群がろうとする女どもを笑顔で蹴散らせたはずがないでしょう」
ラウルとクロヴィスの会話に、ヴィオラントは再び階下に視線を移し、今度はスミレにべったりとくっ付いている上の妹アマリアスを眺めて小さなため息をついた。
彼が義母エリザベスと共に大切に育ててきた妹皇女は、隣国の王妃となり、名実ともにコンラートの社交界を牛耳る影のボスとの異名をとるまでに成長した。
ちなみに、もう一人の妹皇女ミリアニスもまた健やかに育ち、騎士団副長として毎日男に混じって剣を振り回すという、ヴィオラントの予想の斜め上をいくタイプの淑女に出来上がった。
かつてはグラディアトリアの王宮も穏やかにあらず、ヴィオラントも妹達に「わんぱくでもいい。たくましく育って欲しい」と願ったこともあったかもしれない。
その願いが叶ったのだと、喜ぶべきなのか。
「アマリアス姉上は、社交界を渡り歩いているうちにすっかり世間に毒されてしまったのですよ」
こちらもまた一癖も二癖もある立派な紳士に成長した弟の言葉に、ヴィオラントはもう一度小さくため息をつくと、一言忠告した。
「……クロヴィス、それを本人には言わぬように」
「はい、兄上。もちろんです」
しばしそれぞれカップに口をつけ、穏やかな沈黙が流れた男達のお茶会とは対照的に、階下の女達のさえずりは飽くことを知らない。
とはいっても、むやみやたらと姦しいわけではなく、明るく和やかな雰囲気は彼女達の夫や恋人達を微笑ましい気持ちにさせる。
そんな中、一際わっと盛り上がった花達の声に、意識をそちらに向けていた男達はそろって視線を奪われた。
何故か、皆のお姉さん役であるイクコがテーブルに突っ伏し、よく見れば黒髪の隙間から覗く頬が真っ赤に染まっている。
その隣ではルリが、同じように真っ赤になった頬を両手で隠すように包んでいた。
「イクコ殿があんなに真っ赤になるなんて、一体どんな“えげつない話”をしているのでしょうね? ルリのような純真な娘は些細なことでも恥じらうので、少々赤くなるのは珍しいことではないですが……」
そう述べたクロヴィスの言葉には、この世界では結婚適齢期を過ぎたイクコへのわずかな毒が混ざっていた。
しかし、それに気づくはずもないルータスは、もちろん腹を立てるわけでもなく、相変わらずのほほんとした口調ながら、隣の弟ラウルが口に含んだ紅茶を噴き出しそうな台詞をはいた。
「イクコもすぐに赤くなる質だぞ。灯りを点けたまま抱くと、恥ずかしがってとても可愛い」
「――ぶっ、げほっ、ごほっ……ルータス兄ちゃん、赤裸々っ!!」
紅茶を噴く代わりに気管に入ってむせるラウルを、ルータスは不思議そうな顔をして眺め、次いで珍しく目を丸くしたクロヴィスに向かって問いかけた。
「ルリという子は、確かに随分純真そうだったけれど……もしかしてまだ未通か?」
「……だったら、どうだって言うのです」
「彼女の恋人だと名乗る君が、なぜまだ手を出さないのだろうか?」
「うるさいですよ。私だってずっと我慢しているんです。ルリの心の準備ができるまで、じっと待ってるんですよ」
「……」
「そんな、哀れむような目で見ないでいただけます? 非常に不愉快です」
「我慢は、身体によくないと思う」
「……余計なお世話です」
クロヴィスにとってルータスは鬼門。
昔から、彼を相手にすると決まって調子を狂わせられて苛立つ。
クロヴィスはいつもお面のように貼付けている笑みを剥がされ、憮然とした顔をしてルータスを睨んだ。
そんな宰相閣下から、触らぬ神に祟りなしとばかりに距離をとったラウルは、紅茶を飲み干してカップを離し、欄干に凭れて再び階下の華やかな茶会を見下ろした。
彼の妻は、ふわふわの黒髪のお人形のような少女に頬擦りし、花のような笑顔を浮かべている。
「ううーん、スミレを抱っこしたアマリアスはほんとに幸せそうだねぇ。二三日、あの子をうちの城に貸し出してくれない? ヴィオラント」
「イクコもスミレを隣に座らせておくと機嫌がいいんだ。うちにも貸し出してくれ」
「寝言は寝て言え」
コンラート兄弟のお願いは、当然瞬時にヴィオラントによって却下され、もう笑みを作る気も無いクロヴィスなどは、賓客に向かって「命知らずどもめ」と冷たく吐き捨てた。
それに、「だよなぁ」と呟いたラウルは欄干に肘をついて顎を乗せると、妻の豊満な胸元にぎゅうぎゅうと抱き締められている少女を眺め、感慨深げなため息をつく。
「あの一番小ちゃなお嬢ちゃんがヴィオラントのって、いまだに不思議。ねえ……どんな顔して抱くの?」
「黙れ、ラウル」
そう、懲りずに命知らずな質問を繰り出すラウルに、今度はルータスだけではなくクロヴィスまでも乗っかった。
「あの子の中に全部入るのか? ヴィオラント」
「お前も黙っていろ、ルータス」
「そもそも、あのちびっこいののどこに欲情するんですか? 兄上」
「……クロヴィス」
遠慮も何もない質問に、ヴィオラントの眉間に奇跡の縦じわが出現する。
それににやっと顔を緩めたラウルの尻には、座ったままのヴィオラントの長い脚が容赦ない蹴りをお見舞いした。
大いに機嫌を損ねた屋敷の主は、欄干に縋って悶えるコンラート国王をよそに、精神安定剤たる自らの伴侶の姿を覗き込む。
庭のテーブルの上には、朝から彼女が焼いたショコラのケーキと、クロヴィスの恋人ルリが作ってきたパイが並んでいた。
スミレは後者を皿の上から一つ摘まみ上げると、小さな花びらのような唇に放り込んだ。
薔薇色をした頬がぽっこりと丸く膨らんで、それがまた可愛くて可愛くてたまらない。
あの頬を食みたい
そんな想いが、いくらか柔らかくなったヴィオラントの無表情の上にのる。
その横顔をそっと見つめていたクロヴィスは、自らも穏やかな笑みを浮かべて言った。
「まあ、今はスミレ以外が兄上の隣にいることなど想像できませんし、許せませんがね」
その言葉に、「同感」と尻を抑えて涙目のラウルが、「俺も」と紅茶を飲み干したルータスがそれぞれ頷いた。
カチャリと、カップをソーサーの上に置き、ヴィオラントが席を立った。
そのままくるりと身を翻しテラスを後にする彼の背に、「兄上、どちらへ?」とクロヴィスが声をかける。
「スミレの椅子になりに行く」
屋敷の当主でありながら、この男だらけのお茶会のホスト役を務める気などさらさらなかったヴィオラントは、そう短く告げてさっさと部屋を出て行ってしまった。
もちろん、他の男達も黙って見送るようなことはしない。
「あっ、ずっるいずっるい! 僕もアマリアスとお茶を飲む!」
「俺も」
ラウルは尻の痛みも忘れて慌てて彼を追い、ルータスものんびりと席を立った。
最年少のクロヴィスは「おやおや」と苦笑すると、自分の淹れた紅茶を飲みながら、そっと階下をうかがった。
彼の愛しい少女もまた、明るい笑みを浮かべて円卓を囲んでいる。
それを、自分ももっと近くで見たいと思った。
「では、あちらで仕切り直しといきますか」
そう呟いたクロヴィスは、空になったカップをソーサーに戻すと、一番最後にテラスを離れた。
<おわり>
機会があれば、その後の各カップルのターンを…
『蔦王』『瑠璃とお菓子』『雲の揺りかご』の男子達による、
さらに赤裸々なお話
階下には、実に華やかな光景が広がっていた。
色とりどりに咲く花々と瑞々しい緑の庭に、真っ白いテーブルクロスの掛かった円卓を囲む淑女が四人。
黒い頭が二つと、金色と栗色のそれが一つずつ。
午後の木漏れ日に艶やかな髪をきらめかせ、各々の身を包むドレスもまた庭に咲く花のよう。
それを三階のテラスから眺め、コンラートの国王ラウル・ウェル・コンラートは「あ~あ」とため息をついた。
「女の子達、可愛いなぁ。いいなー、僕もあっちでお茶を飲みたい」
その呟きに、「おや」と視線を向けたのは、グラディアトリアの宰相クロヴィス・オル・リュネブルク公爵。
彼は得意の紅茶をカップに注ぎながら、いろいろ含んだような笑みと穏やかな声で告げた。
「女装でもなさって参加されればいかがです? あなたの兄上はお得意でしょう」
「ああ、うん、リヒト兄ちゃんのことね……って、嫌だよ、女装なんてっ! それをネタに、一生弄られるに決まってるじゃないか!」
「はい、外交にも利用します」
「やめてぇ!」
そんな二人のやりとりを聞くともなしに眺めていたのは、この屋敷の当主でありクロヴィスの兄でもあるヴィオラント・オル・レイスウェイク大公爵。
そして、同じく紅茶を飲みつつ無感動にラウルを眺めているのは、彼の三番目の兄であるルータス・ウェル・コンラート。
ヴィオラントとルータスは、弟達から逸らした視線を同時に庭へと向けた。
彼らがじっと見つめるのは、ともにこの世界では珍しい黒髪に包まれた頭。
ヴィオラントの視線を感じ、ふわふわの黒髪――彼の愛妻スミレが顔を上げ、にこりと愛らしく微笑んで手を振った。
彼はそれに万年無表情を柔らかく緩め、小さく手を上げて返す。
一方ルータスの視線を感じて、さらさらの黒髪を揺らして顔を上げたのは、彼の想い人であるイクコ。
社会経験豊富で落ち着いた雰囲気のイクコは、無邪気に手を振るスミレに微笑みながら、ルータスにも小さく笑みを向けた。
お茶会は、貴婦人達の社交の場。
女性陣が何を話しているのか、三階のテラスまでは声が届かないので分からない。
ただ、レイスウェイク家の庭園で開かれている本日の茶会は、世間一般の貴族のそれのような見栄や牽制は少しもない。
仲の良い女性達が親しげに歓談する光景は、実に微笑ましいものだ。
ヴィオラントもルータスも、穏やかな気持ちで彼女達を見守っていた。
だというのに。
欄干から身を乗り出して女子会を見下ろしていたラウルが、余計なことを言い出した。
「ねえ、知ってる? あんなに可憐にきゃっきゃうふふしてると見せかけて、女の子達ってば実際は結構えげつない会話してたりするんだよ」
「……」
おそらく、それは高い確率で事実だろう。
しかし、せっかく楽しそうなスミレを眺めて和んでいたヴィオラントの気分を大いに害した。
ルータスは、“えげつない会話”に心当たりがないのか、よく分からないというように首を傾げている。
そして、テーブルに戻ってきたラウルにカップを差し出し、兄ヴィオラントの隣の席に腰を下ろしたクロヴィスは、自分の入れた紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「私のルリを、アマリアス姉上と同等に扱わないでいただきたい。彼女は義母上に純粋培養されてきたのですからね」
そう言って、青い目を細めて階下を見下ろしたクロヴィスの視線は、個性的な面々の側で控えめに咲く慎ましい花を捉える。
いつもは纏めて結ってある栗毛を今日は背に流し、侍女のお仕着せを彼が贈った涼やかな色合いのドレスに着替えた可憐な少女。
ルリはテラスのクロヴィスに気づくと、慕わしげな笑みを浮かべて会釈した。
それに柔らかく目を細めているクロヴィスの横顔をジトーとねめつけ、ラウルは子供のように口を尖らせる。
「僕の奥さんだって、皇太后陛下とヴィオラントに純粋培養されてきたはずだけど?」
「そんな方が、これまで兄上に群がろうとする女どもを笑顔で蹴散らせたはずがないでしょう」
ラウルとクロヴィスの会話に、ヴィオラントは再び階下に視線を移し、今度はスミレにべったりとくっ付いている上の妹アマリアスを眺めて小さなため息をついた。
彼が義母エリザベスと共に大切に育ててきた妹皇女は、隣国の王妃となり、名実ともにコンラートの社交界を牛耳る影のボスとの異名をとるまでに成長した。
ちなみに、もう一人の妹皇女ミリアニスもまた健やかに育ち、騎士団副長として毎日男に混じって剣を振り回すという、ヴィオラントの予想の斜め上をいくタイプの淑女に出来上がった。
かつてはグラディアトリアの王宮も穏やかにあらず、ヴィオラントも妹達に「わんぱくでもいい。たくましく育って欲しい」と願ったこともあったかもしれない。
その願いが叶ったのだと、喜ぶべきなのか。
「アマリアス姉上は、社交界を渡り歩いているうちにすっかり世間に毒されてしまったのですよ」
こちらもまた一癖も二癖もある立派な紳士に成長した弟の言葉に、ヴィオラントはもう一度小さくため息をつくと、一言忠告した。
「……クロヴィス、それを本人には言わぬように」
「はい、兄上。もちろんです」
しばしそれぞれカップに口をつけ、穏やかな沈黙が流れた男達のお茶会とは対照的に、階下の女達のさえずりは飽くことを知らない。
とはいっても、むやみやたらと姦しいわけではなく、明るく和やかな雰囲気は彼女達の夫や恋人達を微笑ましい気持ちにさせる。
そんな中、一際わっと盛り上がった花達の声に、意識をそちらに向けていた男達はそろって視線を奪われた。
何故か、皆のお姉さん役であるイクコがテーブルに突っ伏し、よく見れば黒髪の隙間から覗く頬が真っ赤に染まっている。
その隣ではルリが、同じように真っ赤になった頬を両手で隠すように包んでいた。
「イクコ殿があんなに真っ赤になるなんて、一体どんな“えげつない話”をしているのでしょうね? ルリのような純真な娘は些細なことでも恥じらうので、少々赤くなるのは珍しいことではないですが……」
そう述べたクロヴィスの言葉には、この世界では結婚適齢期を過ぎたイクコへのわずかな毒が混ざっていた。
しかし、それに気づくはずもないルータスは、もちろん腹を立てるわけでもなく、相変わらずのほほんとした口調ながら、隣の弟ラウルが口に含んだ紅茶を噴き出しそうな台詞をはいた。
「イクコもすぐに赤くなる質だぞ。灯りを点けたまま抱くと、恥ずかしがってとても可愛い」
「――ぶっ、げほっ、ごほっ……ルータス兄ちゃん、赤裸々っ!!」
紅茶を噴く代わりに気管に入ってむせるラウルを、ルータスは不思議そうな顔をして眺め、次いで珍しく目を丸くしたクロヴィスに向かって問いかけた。
「ルリという子は、確かに随分純真そうだったけれど……もしかしてまだ未通か?」
「……だったら、どうだって言うのです」
「彼女の恋人だと名乗る君が、なぜまだ手を出さないのだろうか?」
「うるさいですよ。私だってずっと我慢しているんです。ルリの心の準備ができるまで、じっと待ってるんですよ」
「……」
「そんな、哀れむような目で見ないでいただけます? 非常に不愉快です」
「我慢は、身体によくないと思う」
「……余計なお世話です」
クロヴィスにとってルータスは鬼門。
昔から、彼を相手にすると決まって調子を狂わせられて苛立つ。
クロヴィスはいつもお面のように貼付けている笑みを剥がされ、憮然とした顔をしてルータスを睨んだ。
そんな宰相閣下から、触らぬ神に祟りなしとばかりに距離をとったラウルは、紅茶を飲み干してカップを離し、欄干に凭れて再び階下の華やかな茶会を見下ろした。
彼の妻は、ふわふわの黒髪のお人形のような少女に頬擦りし、花のような笑顔を浮かべている。
「ううーん、スミレを抱っこしたアマリアスはほんとに幸せそうだねぇ。二三日、あの子をうちの城に貸し出してくれない? ヴィオラント」
「イクコもスミレを隣に座らせておくと機嫌がいいんだ。うちにも貸し出してくれ」
「寝言は寝て言え」
コンラート兄弟のお願いは、当然瞬時にヴィオラントによって却下され、もう笑みを作る気も無いクロヴィスなどは、賓客に向かって「命知らずどもめ」と冷たく吐き捨てた。
それに、「だよなぁ」と呟いたラウルは欄干に肘をついて顎を乗せると、妻の豊満な胸元にぎゅうぎゅうと抱き締められている少女を眺め、感慨深げなため息をつく。
「あの一番小ちゃなお嬢ちゃんがヴィオラントのって、いまだに不思議。ねえ……どんな顔して抱くの?」
「黙れ、ラウル」
そう、懲りずに命知らずな質問を繰り出すラウルに、今度はルータスだけではなくクロヴィスまでも乗っかった。
「あの子の中に全部入るのか? ヴィオラント」
「お前も黙っていろ、ルータス」
「そもそも、あのちびっこいののどこに欲情するんですか? 兄上」
「……クロヴィス」
遠慮も何もない質問に、ヴィオラントの眉間に奇跡の縦じわが出現する。
それににやっと顔を緩めたラウルの尻には、座ったままのヴィオラントの長い脚が容赦ない蹴りをお見舞いした。
大いに機嫌を損ねた屋敷の主は、欄干に縋って悶えるコンラート国王をよそに、精神安定剤たる自らの伴侶の姿を覗き込む。
庭のテーブルの上には、朝から彼女が焼いたショコラのケーキと、クロヴィスの恋人ルリが作ってきたパイが並んでいた。
スミレは後者を皿の上から一つ摘まみ上げると、小さな花びらのような唇に放り込んだ。
薔薇色をした頬がぽっこりと丸く膨らんで、それがまた可愛くて可愛くてたまらない。
あの頬を食みたい
そんな想いが、いくらか柔らかくなったヴィオラントの無表情の上にのる。
その横顔をそっと見つめていたクロヴィスは、自らも穏やかな笑みを浮かべて言った。
「まあ、今はスミレ以外が兄上の隣にいることなど想像できませんし、許せませんがね」
その言葉に、「同感」と尻を抑えて涙目のラウルが、「俺も」と紅茶を飲み干したルータスがそれぞれ頷いた。
カチャリと、カップをソーサーの上に置き、ヴィオラントが席を立った。
そのままくるりと身を翻しテラスを後にする彼の背に、「兄上、どちらへ?」とクロヴィスが声をかける。
「スミレの椅子になりに行く」
屋敷の当主でありながら、この男だらけのお茶会のホスト役を務める気などさらさらなかったヴィオラントは、そう短く告げてさっさと部屋を出て行ってしまった。
もちろん、他の男達も黙って見送るようなことはしない。
「あっ、ずっるいずっるい! 僕もアマリアスとお茶を飲む!」
「俺も」
ラウルは尻の痛みも忘れて慌てて彼を追い、ルータスものんびりと席を立った。
最年少のクロヴィスは「おやおや」と苦笑すると、自分の淹れた紅茶を飲みながら、そっと階下をうかがった。
彼の愛しい少女もまた、明るい笑みを浮かべて円卓を囲んでいる。
それを、自分ももっと近くで見たいと思った。
「では、あちらで仕切り直しといきますか」
そう呟いたクロヴィスは、空になったカップをソーサーに戻すと、一番最後にテラスを離れた。
<おわり>
機会があれば、その後の各カップルのターンを…
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