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五臓六腑

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蔦姫と蜂蜜6

「蔦姫と蜂蜜」第六話


 スミレが右足を挫いた翌々日の夕刻、ハニマリアは再びレイスウェイク家を訪れた。
 しかし、この日は彼女は一人ではなかった。

「スミレの怪我の具合はどうだい? ヴィオラント」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、アルヴィース様」

 ハニマリアは夫である前リュネブルク公爵、つまりヴィオラントの祖父アルヴィース・ティル・リュネブルクを伴ってやってきた。
 まんま肉食系の祖母に対し、祖父ははっきり言って草食系。
 対照的な性格の二人だが、夫婦仲はすこぶる良好だ。
 温和なアルヴィースの顔を見ると、ヴィオラントも少しほっとする。
 この日のハニマリアは、昨日までの作業服姿から上品なドレスに変身し、アルヴィースにエスコートされる姿は洗練された貴婦人そのものだった。
 彼が隣にいるだけで、ハニマリアの印象がいくらか和らぐように感じるから不思議だ。
 そのせいか、あるいは昨日妻と実父相手に胸の内を吐き出したおかげか、彼女を前にしても今日のヴィオラントの心は凪いでいた。
 私室に通されてきた祖父母にソファを勧めると、ヴィオラントは寝室に閉じ込めていた妻を迎えに行った。
 実は昨日シュタイアー公爵が帰った後、ほんの少しヴィオラントが側を離れた隙に、スミレは私室を脱走しようとした。
 もちろんすぐに彼に見つかって、大目玉を食らったのは言うまでもない。
 窓の外に小鳥が集まってきたので、エサになるパンくずを貰いに厨房に行きたかったらしく、とにかくじっとしているのが退屈なスミレの気持ちは分かるが、過保護の権化と化したヴィオラントを少し甘く見過ぎていたようだ。
 ヴィオラントに抱かれて寝室から出てきたスミレは、客人の――特にアルヴィースの姿を見てほっとしたような顔をした。

「痛い思いをさせてすまなかったね、スミレ。どうか、ハニーを許してやっておくれ」
「大丈夫だよ、アルおじいちゃま。ハニーおばあちゃまのせいじゃなくて、ただの事故だよ」
「けれど、足の包帯がまだ痛々しい。歩けないのは不自由だろう?」
「歩けるのに、歩かせてくれないの! ヴィーが!」

 労るアルヴィースの言葉に、スミレは隣のヴィオラントを見上げてつんと唇を尖らせた。
 昨日、寝室に連行され甘く狂おしいお仕置きを受けた後は、スミレは無傷の左足さえ床につくのを許されなくなったのだ。

「そなたを野放しにしていては、治る怪我も治らない」

 彼女の抗議に、ヴィオラントは涼しい顔をしてそう答える。
 アルヴィースが「確かにねえ」とにこにこしてそれを肯定すると、スミレは「おじーちゃま、ひどい!」と憤慨した。
 ハニマリアはそんなやりとりを面白そうに、けれど珍しく黙って静かに見守っていた。
 思えば、ハニマリアとアルヴィースが揃って孫夫婦とゆっくり話をするのは、この時が初めてであった。
 そして、対面に座るヴィオラントも同じことを思ったらしく、この日は幾らか角のとれた視線でハニマリアを見返してきた。
 ヴィオラントがいくら偉大な先帝であろうと、どれだけ立派な青年に成長していようと、彼女にとっては可愛い孫にかわりはない。
 その心境の変化の理由は分からずとも、孫の瞳が穏やかに自分を映してくれていることを、ハニマリアは素直に嬉しく思った。
 一方、アルヴィースに向かって頬を膨らませていたスミレの目に、ハニマリアが携えてきた物がとまった。
 白く四角い箱である。
 少女の視線を感じたハニマリアはにっこりと微笑んだ。

「昨日そなたが言っていた“ルリちゃん”に会ったよ、スミレ。約束のラピスラズリも、確かにクロヴィスに渡したからね」
「ありがとう、おばあちゃま。――それで、クロちゃんとルリさん、うまくいきそうだった?」
「いい雰囲気ではあったよ。クロヴィスがうまくやるんじゃないかな」

 リュネブルク家に残った二人の仲を気にするスミレにそう答えると、ハニマリアは件の箱を彼女の方へと差し出した。

「はいどうぞ。そのルリから、そなたへの差し入れだよ」
「――わっ、ケーキ? リンゴの匂いがする」

 身を乗り出そうとしたスミレをさっと抑え、ヴィオラントがその箱を受け取って膝に置いてやると、蓋を開いて中身を覗いた彼女は目を輝かせた。
 絶妙な焼き色がついたホールケーキからは、甘酸っぱいリンゴの香りが漂ってくる。
 あのお菓子作りが得意なルリが作ったのならば、美味しくないわけがない。
 箱の底はまだほんのりと温かく、それが焼きたてであることがよく分かって、スミレは居ても立ってもいられなくなった。
 ところが、「皆で食べよう」と言って、いつもの調子でケーキ用のナイフを取りにいこうと立ち上がりかけた彼女を、やはり隣のヴィオラントが素早く制した。

「立ってはいけないと言っただろう。それに、先ほど午後のお茶と一緒に焼き菓子を食べたではないか。今それをいただいては、夕餉が入らない。後にしなさい」

 その言葉に、スミレはぶっと頬を膨らませる。
 アルヴィースは微笑ましいものを見るように眦を緩め、ハニマリアはぷっと噴き出した。

「あははは、そなた達は夫婦というより親子のようだね。父親役が板についているではないか、ヴィオラント」

 彼女が何気なく口にした冗談。
 しかしその時、ヴィオラントは笑うことも聞き流すこともできなかった。
 そればかりか、動かぬはずの表情を少しだけ不穏に歪め、ころころ笑う祖母に向かって胸の奥のわだかまりを吐き出した。

「親らしいこともなさらなかったあなたにも、“親らしさ”がどんなものか分かるのですね」
「おや……尖ってきたね」

 対して、笑うのをやめたハニマリアは、それでも穏やかな顔をして言葉を返す。

「確かに、私が母親としてふさわしくなかったことは認める。そなたにとっても、煩わしいだけの婆だったかもしれないが、それでも私は娘を愛していたし、孫のそなたやクロヴィスを愛しているよ」

「もちろんスミレのことだって、孫のように可愛い」と、彼女は嘘偽りない思いを告げたが、ヴィオラントはそれもまた疑わしいとばかりに眉をひそめる。
 そして、ぽつりと一つつぶやいた。

「……我々の結婚式にも出席してくださらなかったというのに?」

 その言葉に、一瞬ハニマリアはぽかんとした。
 しかし次の瞬間、頬を紅潮させてソファから立ち上がった。

「何だい! そなた、そんなことを根に持ってたのか!?」

 その顔には、耐えようにも耐えられぬという風に、じわじわと笑みが広がっていく。
 逆に、ヴィオラントは真一文字に口を引き結んだ。

「そりゃあおばあちゃまだって、女の気配の欠片も感じさせなかったそなたが、まさか出会って数日で十二も年下の娘にプロポーズして、三月の内に式を挙げてしまうなんて思わないじゃないか!」
「だが、アルヴィース様を通して招待状が行ったでしょう。ご存知なかったはずはない」

 ヴィオラントの口調は、ついには憮然とし始めた。
 対するハニマリアは、そこで急にばつが悪そうな顔をして、隣ではらはらした様子で見守っているアルヴィースと顔を見合わせた。

「……それについては、不幸な行き違いがあったんだよ……」

 ヴィオラントとスミレの結婚を知らせる手紙が届いた時、ハニマリアは隣国パトラーシュとの国境付近で大きな鉱山を掘り当てていた。
 発掘現場近くの宿屋を仮の事業本部としており、招待状は彼女が穴に潜っている間に届いたらしいのだが、何者かの手違いで中身を確認できぬまま書類の山に埋まってしまったのだ。
 ハニマリアがようやく招待状の存在に気づいたのは、残念ながら二人の結婚式が執り行なわれた翌日だった。

「結婚式に出席できなかったのは残念だし、随分失礼なことをしてしまったと反省しているよ。けれど、そなた達を祝福する気持ちは、式に出席した者達にだって負けないつもりだ。それは分かってくれているだろう。ねえ、スミレ?」
「うん、ハニーおばあちゃま」

 ハニマリアの言葉にこくりと頷いたスミレは、抱いていたケーキの箱をそっとテーブルに戻すと、隣で剣呑な視線で正面を見据えているヴィオラントの膝の上にうんしょとよじ登った。
 すると彼は、自ら懐に収まりにきた精神安定剤をしっかりと抱き込んだ。
 ハニマリアはそんな二人を眺めながら顎に手をやって、「けれど、スミレの花嫁姿を見逃したのは一生の不覚だね……」とつぶやいたかと思うと、突然ぽんと両手を打ち鳴らし、名案が浮かんだとばかりに顔を輝かせて言った。

「そうだ、スミレ。もう一度、結婚式をしてみせておくれよ!」
「もう一回?――誰と?」

 スミレがそう答えた瞬間、ヴィオラントの眉がびょんと跳ね上がった。
 その光景を対面でばっちり目撃したアルヴィースは、隣でにこにこしている妻を必死で窘める。

「ハニー! 滅多なことを言っちゃだめだよっ……!」
「何だい、アル。そなただって、スミレの花嫁姿はめちゃくちゃ可愛らしくて、私に見せられなかったのが残念だと何度も言っていたじゃない」
「それはそうだけど……。あー……ヴィオラント、顔が恐いよ……」

 アルヴィースは、悪びれもせずにとんでもないことを言い出した妻と、無表情をさらに凍り付かせた孫に挟まれて、おろおろとする。
 そんな彼の気も知らず、ヴィオラントの膝の上のスミレが、無邪気な顔をしてさらにとんでもない言葉を口にした。

「もう一回結婚式するためには、ヴィーと一度離婚しなきゃだめなの?」
「わあっ! スミレも何を言い出すんだい!? ああっ、ヴィオラント! どうどう、落ち着いて落ち着いてっ……!!」

 とたんに、悲鳴を上げてソファから立ち上がったアルヴィースの顔は真っ青だ。
 その隣では、「面白くなってきた」と言わんばかりに、ハニマリアがにやにやしている。
 そんな正反対の老夫婦の反応に「ん?」と首を傾げたスミレの顎を、後ろから伸びてきた大きな掌が掴んだ。
 そして、いささか乱暴な仕草でそれに仰向かされたスミレは、自分を見下ろす紫の瞳が盛大に不機嫌に染まっていることに気づいた。
 スミレとしては、「嘘でも離婚なんてしたくない」と続けるつもりで口にしたのであるが、“離婚”という言葉自体がヴィオラントにとっては最悪のNGワードであったようだ。
 
「……そんなおぞましい言葉を紡ぐ悪い口は、これか」
「あ、むっ……」

 めっとスミレを叱りつけたヴィオラントは、そのまま覆いかぶさるようにして彼女の唇に噛み付いた。
 祖父母の面前であろうと、慎むつもりはないらしい。
 そんなヴィオラントの様子に、立ち上がってわたわたしていたアルヴィースは脱力し、やれやれとため息をついてソファに座り直した。
 そうして、小柄な少女の身体を抱き込んで貪るように口付ける孫を眺めながら紅茶のカップに口を付け、レイスウェイク家を訪れる前の自分の屋敷で、同じように眼前でキスシーンを披露したもう一人の孫を思い出し、しみじみとつぶやいた。

「うちの孫達は、こんなに情熱的だったんだねえ、ハニー」

 それに対し、隣で同じように孫夫婦のキスシーンを肴に紅茶のカップを傾けていたハニマリアが、笑って答えた。

「何を驚いているの、アル。私たちだって、燃えるように愛し合ったじゃないか。遺伝だよ、遺伝」
「なるほどー」


 




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