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五臓六腑

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蔦姫と蜂蜜4

「蔦姫と蜂蜜」第四話


 スミレの足首の腫れは、翌日にはまださほど快復しているようには見えなかった。
 ヴィオラントは前日宣言したとおり、彼女を本当に私室に軟禁してしまっている。
 一方、患部の見た目に反し痛みはあまり感じず、元来じっとしているのが性に合わないスミレは、何とか治ったことをアピールをしようと試みる。ところが、ベッドを降りることさえ許されず、立って歩くどころではない。
 
「もう大丈夫だってば」
「傷めた筋が一日で治るはずがあるまい。大人しくしていなさい」
「全然痛くないのにー」

 ベッドの脇に仁王立ちするヴィオラントに向かい、スミレが「ほら、平気」とベッドの上に立ち上がって見せようとすると、物凄い早さで足元をすくわれ抱き上げられ、そうかと思えばそのままシーツの上に転がされた。
 そうして、寝転がった身体の上を跨がれてベッドにはりつけにされる。
「こら」と彼女を叱る声に鋭さはないが、彼はどうあってもスミレをベッドから解放してやる気はないらしい。
 
「私に心配をかけたと謝った、昨日のいじらしさをどこへやってしまった?」
「うう……ちゃんと反省してるよ。前見て歩かなかったのが悪かったって分かってるし、でも……」

 この日は、スミレはフリードの店を手伝う予定だった。
 もちろん、ヴィオラントが早々と怪我を理由に彼女が休むことを伝えていたが、急に店番のあてがなくなったフリードは困るのではなかろうか。そうひどく気に病むスミレを見兼ねて、レイスウェイク家のメイドが一人、代わりを務めてくれることになった。
 そうしてひとまず、フリードの方の心配はなくなったものの、スミレにはもう一つ気掛かりなことがあった。
 
「クロちゃんがルリさんを招待するのって、もう明日だよ。ベッドで寝てる場合じゃないよ、ヴィー」

 ヴィオラントの同腹の弟で、グラディアトリアの現宰相クロヴィス・オル・リュネブルク公爵に、やっと春の兆しが訪れたのだ。
 相手は、皇太后陛下エリザベス・フィア・グラディアトリアの侍女、ルリ。
 亜麻色の髪と瑠璃色の瞳の、お菓子作りがとても上手な彼女とは、スミレもすっかり仲良しである。 
 そんなルリにどうやらお熱らしい宰相閣下は、この度彼女を自分の屋敷に連れ込む手筈を整えた。
 クロヴィスがそれを宣言した場に居合わせたスミレは、当然応援という名のデバガメに、リュネブルク家に押し掛けるつもりだったというのに、ヴィオラントは呆れた様子でため息をついた。

「人の恋路に首を突っ込むのはやめなさい」
「だってだって、心配じゃない。クロちゃんが無理を押し通そうとして、ルリさんに引かれちゃったらどうしよう」
「クロヴィスも随分と場数を踏んでいる。女性の扱いには慣れているから、そんなへまはしまい」
「そういう余裕が逆に心配。乙女心をマニュアルではかろうなんてのが、そもそも間違いなんだよ」

 ベッドに寝かされ、男に覆いかぶさられた状態で、難しい顔をして両腕を組んだスミレに、ヴィオラントはもう一度ため息を落とした。
 そして、彼女の眉間にできた皺を解すように唇を押し当てると、「人の心配より自分の心配をしなさい」と窘めた。

「そなたが昨日穴に落ちた姿を、多くの者が目撃している。彼らにもどれほど心配をかけたことか」
「……えっと、それは……」
「私はもちろんだが、屋敷の者達も、そなたが昨日の今日で出歩くことを許しはしないだろう」
「……う……」

 ヴィオラントが言うように、スミレが穴に落ちる場面に居合わせた庭師のポムも、彼女が土と赤い液体に塗れてえんえん泣いているのを目の当たりにした料理長以下使用人一同、それはそれは肝を潰したことだろう。
 敬愛する主人の元に天使のように舞い降りた奇跡の少女を、彼らもとてもとても深く愛しているのだ。
 それをいつもひしひしと感じているスミレは、さすがに言い返す言葉が見つからなかった。
 幼い仕草で唇を尖らし、それでもついに観念して大人しくなった彼女に、ヴィオラントもようやく表情を緩めて苦笑した。

「じゃあ、アルおじーちゃまに手紙出していい? クロちゃんの一挙一動をレポートしてもらう」
「……好きにしなさい」

 素直にベッドに座り直したスミレに、ヴィオラントはそれ以上苦言を呈するつもりはない。
 彼が紙とペンを用意してやると、少女はすぐさま機嫌よく文字を書き始めた。
 プライベートに首を突っ込まれるクロヴィスには気の毒だが、彼女の退屈しのぎの生け贄になってもらおう。
 そんなことを考えながら、この世界の文字を覚えたての妻が一生懸命記す手元を眺めつつ、紙面に並ぶ拙く稚い字に目を細めたヴィオラントは、手紙が完成すると綺麗に折りたたんで封をしてやった。
 そして侍従長サリバンを呼び、手紙をリュネブルク邸に届ける手配を申し付けると、彼と入れ替わるようにヴィオラントの私室の扉をくぐった者があった。 

「お邪魔するよ、ヴィオラント」

 今朝もまだ中断した発掘場所の後片付けに屋敷を訪れていた、ヴィオラントの祖母ハニマリアだ。
 目があった瞬間表情を硬くした孫にやれやれとため息をついた彼女は、両脇に荷物を抱えてずかずかと奥の寝室に向かった。
 ヴィオラントは一瞬眉を顰めたものの、その荷物でハニマリアが何をしにきたのかは一目で分かったので、ぐっと口を噤んだ。

「スミレ、いい子にしているかい?」
「ハニーおばあちゃま」
「いろいろ持ってきたよ。退屈するといけないからね」

 その言葉どおり、ハニマリアは抱えてきたぬいぐるみやら人形やら絵本やらを、スミレが腰掛けたベッドの上にどさりと下ろした。
 スミレはまた「私のこと一体いくつだと思ってるのー」と呆れたが、おもちゃはともかく、綺麗な装丁の絵本には素直に目を輝かせた。
 ハニマリアはそんな少女の様子に満足げに微笑むと、ベッドの側に椅子を引いてきて腰掛ける。
 ヴィオラントは、黙ったままその脇に立った。
 
「そなたに痛い思いをさせてしまったことが悔やまれてね、昨夜はよく眠れなかった。改めて何かお詫びをしたいんだが、欲しい物はないかい?」
「お詫びなんていいよ、おばあちゃま。昨日、綺麗なアメジストもらったし……絵本なんかもこんなにたくさん」

 昨日ハニマリアに握らされたアメジストは、実はもうスミレの手元にはない。
 今朝早く、見舞いに来た庭師のポムに頼んで、ある場所に届けてもらったからだ。
 スミレがこれまで貰ったチップの貯金箱も、ともに。

「いいや、スミレ。何かしてやらないと、私の気が済まないんだよ」

 ハニマリアにそう言いわれて、ヴィオラントに何不自由ない生活を保障されている上、元々物欲があまりないスミレは困った。
 困ったスミレが助けを求める相手はいつもヴィオラントだが、ハニマリアの隣でいやにピリピリしている様子の今の彼は、どうやら当てにならなさそう。
 仕方なく、両腕を組んでうんうん唸って考え込んだスミレの目に、その時ふとベッドの上に無造作に置かれた絵本の表紙が留まった。
 ――赤いずきんをかぶった女の子が、狼が入れ替わっているとも知らずにおばあさんをお見舞いに行くお話。
 女の子の髪は亜麻色で、瞳は青。
 それは、腹黒宰相閣下に虎視眈々と狙われているとも知らず、明日には彼の屋敷に連れ込まれる皇太后陛下の侍女を彷彿とさせる。
 絵本の狼の瞳もまたあつらえたように、クロヴィスと同じ空色。
 それを見たスミレの脳裏に、ある考えが浮かんだ。

「――おばあちゃま、ラピスラズリもどこかに埋まってる?」
「ラピスラズリ? それなら、昔リュネブルク家の裏山でよく採れたね。今でもまだ、少しは残ってるかも」
「じゃあ、それが出たらクロちゃんに一つあげて。ルリさんっていう可愛いお姉さんが、きっと明日にはリュネブルクの家に遊びに来るから。ルリさんの瞳は瑠璃色なの」
「ルリ色?」
「うん、ラピスラズリに似た、とっても綺麗な青い色だよ。ね、ヴィー?」
「……そうだったか」

 急に話を振られたヴィオラントは紫の目を瞬き、首を捻った。
 彼としては、弟が懸想し、妻が慕う侍女のことは好ましく思っているが、正直瞳の色までじっくり観察したことがない。
 身内以外に興味が薄い性分は相変わらずだった。
 一方、ルリに対して興味を抱いたらしいハニマリアは、スミレの話にのってきた。

「スミレは、クロヴィスにラピスラズリを磨く手配をさせて、そのルリって子にプレゼントさせたいのかな?」
「そうだよ、おばあちゃま。二人がうまくいくようにのお守り。ラピスラズリは幸運を引き寄せる石なんだよ」
「なるほど、我がリュネブルク家の未来が懸かっているのだね。これは責任重大だ。とびきりのを掘り出して来なきゃね」

 ハニマリアはそう言ってスミレのふわふわの黒髪を撫でると、年齢を感じさせない身軽な様子で椅子から立ち上がった。
 そして、ふと傍らに佇んだままのヴィオラントに視線をやり、相変わらずの無表情に苦笑すると、「ではまたね」と二人に声を掛けて部屋を出て行った。

 ハニマリアの気配がなくなると、ヴィオラントは大きく一つため息をついてから、ベッドの縁に腰を下ろした。
 彼はシーツの上に放り出されていた絵本を手に取ると、まとめてサイドテーブルに移動させる。
 スミレもぬいぐるみと人形を片しながら、その中で腕の中に収まりがよかったぬいぐるみを一つ、膝の上にぎゅっと抱いた。
 くしくもそれは、誰かさんの髪を模したような白銀の毛並みのうさぎさん。
 スミレはそのぴょこんと長い二本の耳の間から顔を出して、ヴィオラントを見上げて口を開いた。

「ヴィーさん。今日はまた、とびきり無愛想だったね」
「……昨日そなたに怪我を負わせた相手に、愛想を振りまけるほどの余裕はないな」
「でも、前からハニーおばあちゃまにだけ、ツンツンだったよ」
「……」

 祖母ハニマリアに対するヴィオラントの態度は、明らかに異質である。それには、スミレも以前から気がついていた。
 彼は元々無表情で、愛想がよいタイプの人間ではないが、一応は誰に対しても丁寧で人当たりはいい。
 けれど、ことハニマリアを前にすると口数は減るし視線は温度を下げる。
 それは一見、彼が祖母を嫌っているようにも見えるが、スミレはそうではないと思っていた。
 少しばつの悪そうな様子のヴィオラントに、彼女は「うーむ」と唸って両腕を組んだ。

「なんだかね、私にも覚えがあるというか……」
「……」
「ハニーおばあちゃまを前にしたヴィーを見ると、昔の自分を見てるみたいで……」

 そうして、「あ、そっか」とつぶやいたスミレは、ぺちんと両手を打ち鳴らして告げた。

「分かった! お兄ちゃん相手に、思いっきり反抗期だった頃の私にそっくりなんだっ!」
「……」
「ヴィーってば、今頃反抗期が来たんだね。――遅いね」
「……」 


 



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