イヴ御一行様
自宅を出発したイヴ達は、昨日シドを掘り起こした森に向かった。
特産の穀物ムールの収穫期を終えたラムール村の朝は、この日もやはりゆっくりで誰にも会わなかった。
そんな静かな道中であったが、森の入り口にある大きな樫の木の下を通りかかった時、突然何かが木の葉の影からわらわらと降ってきた。
白くてふわふわとしている、毛玉のような小さな物体だ。
「なんだ、これは」
シドは初めて見たらしく、不思議そうな顔でそれを眺めた。
イヴの片手に乗るほどの大きさの毛玉は、ぎゅっと握ればどこまでも縮こまり、けれど掌を開けば再びぽんっと元の大きさに戻る。
重さは無いに等しく、ふっと息を吹きかければタンポポの綿毛のように飛ばされるが、しばらくすると空中で軌道修正して再びイヴの側に寄ってくるので、意思があるようにも見える。
しかし実際のところ、彼らが魔物なのか動物なのか、それとも植物なのかはイヴも知らない。魔女だったカポロでさえ、判断がつかなかったぐらいだ。
彼らは何をするでもなくただただ空中を漂い、魔物と同じようにイヴに惹かれるらしい。
普段は森の木の葉の隙間に住んでいる。
姿を見せなかった昨日は、やはり見知らぬシドの存在を木陰から観察していたのだろうが、今日はもうすっかり警戒を解いたのか、次から次へとイヴの周りに集まってきた。
「……おい、これはいくら何でも多過ぎやしないか?」
そう思わずシドが呟くほどに、彼らはとにかく数が多い。
我れ先にとイヴめがけ、雪のようにふわふわと舞い降りたと思ったら、彼女のストロベリーブロンドの上にてんこ盛りに積もった。
重さがないからいいようなものの、そうでなければイヴの首はごきりといっていたかもしれない。
「――ええい、お前達! 私のイチゴちゃんの髪に気安く触るなっ!」
それに激しく立腹したのは、コブタ系黒猫のぬいぐるみに憑依したままの幽体ウォルスだ。
幽体の時には家の外に出して貰えなかった彼だが、今日はイヴに初めての外出と同行を許され、道中随分と浮かれていた。
さらに、そのぬいぐるみ自体に思い入れが深いため、イヴのウォルスに対する親密度は飛躍的にアップし、魔女の使い魔よろしく肩に乗せて貰えていたのだ。
そんなウォルスが、お気に入りの少女の髪をわけも分からぬ毛玉に浸食されて、黙ってなどいようはずもない。
華麗に繰り出したネコパンチで、ふわふわの連中を一つ残らず払い落としてやった。
一方、当のイヴはというと、巻き添えを食って乱された自分の髪を鬱陶しそうにしながら、宙を舞っていた毛玉を一つ指に摘んで掌の上に乗せた。
「一年ほど前に、急にどっと増えたんだよねー」
その物体は、昔からイヴの周りに時々ちらついていたが、特に悪さをするわけでもなくただふわふわと浮かんでいるだけ。
カポロ婆さんも、悪いものではないから放っておけと言うので、イヴは気に留めてもいなかった。
しかし一年ほど前――カポロ婆さんが亡くなった直後、その数が爆発的に増えた。
彼らは、大切な家族を亡くしたイヴが零した悲しみの涙を糧にして、次々と我が身を分裂させて仲間を増やしていったのだ。
それは一時、雪が積もったのかと錯覚させるほど森を白く染め、大らかなラムールの人々もさすがに戸惑った。
しかし、イヴの心が落ち着くにつれて零れる涙も減り、白い毛玉達の増殖にもようやく歯止めがかかった。
「その後、少しずつ自然淘汰されたみたい。他に何を食べるのか、知らないしね」
それでも、彼らはまだ大きな樫の木を覆うほどの数は残っている。
普段は森の中にそれぞれ散らばっているが、イヴが訪れると必ず集まってくるのだった。
興味深そうに覗き込んできたシドに、イヴは毛玉を差し出した。
ちなみに、ラムール村の誰も知らなかったその物体を、イヴはこう呼んでいる。
「はい――“ふわもっこりん”」
「なんて名前だ」
ふわふわもっこりしているその見た目から付けたのだが、間抜けな名前が可笑しかったらしく、シドは思わず噴き出した。
一方、やれやれと呆れたように口を挟んできたのは、白い毛玉を複雑そうな眼差しで見つめていた、一角獣オルヴァだ。
「珍妙な名で呼ぶでない、イヴ。それは“ケサランパサラン”だと、前に教えただろう」
彼はなんと、その物体の名前を知っていたのだ。
聖域を出て数年の間放浪し、人魚アグネが来る少し前にイヴの元に辿り着いたオルヴァは、彼女にまとわりつく白い毛玉の存在に気づいた時、腰を抜かさんばかりに驚いたものだ。
しかし、何故その名を知っているのかと問われれば、彼は決まって難しい顔をして口を噤んだ。
「知らないよ、そんな舌を噛みそうな名前。ここいらでは、こいつは“ふわもっこりん”で通ってるんだよ」
オルヴァの過去に干渉する気のないイヴは、突っ込んで話を聞くようなことはしない。
だから彼女にとってその物体は、ただふわふわして懐いてくるだけの、白い毛玉以上の何ものでもなかった。
イヴが摘んで差し出した“ふわもっこりん”こと“ケサランパサラン”は、シドの手に渡るのを嫌ったかのように、するりと身を滑らせて空中に飛び上がり、ふわふわと木の葉の向こうに逃げていってしまった。
その後も、イヴ達一行はどんどん森の中に入っていった。
途中、シドを掘り起こした昨日の場所も通り過ぎる。
あの時大きく開いてしまった地面の穴は、壊れた棺桶の蓋の残骸も放り込んで、シド本人に土で埋めさせて平らに均していた。
若干地面の色が変わった場所を横目で見ながら、その場に全くの未練もないらしいシドを連れて、イヴはさらに奥を目指す。
森の中央には川が一本流れていて、それを目印に進んでいけば森の中で迷うことはまずない。
この川こそがラムール村で穀物ムールを育てるための要であり、辿って山を登ればアグネの郷である水源の湖に通じている。
その山の麓に到着すると、やっと森が開けた。
辺り一面、山の斜面の中腹までが花畑のようになっていて、色とりどりに咲いた花々が実に鮮やかだ。
そんな中、背の低い石の塀でくるりと囲まれた一角に、石碑が一つ立っていた。
「イチゴちゃん、ここは一体何なのかな?」
もちろん初めてこの場所を訪れたウォルスがそう問うと、同じ疑問を感じていたシドもイヴの答えを待った。
「村の共同墓地だよ。慰霊碑の前に祭壇があるでしょ」
なるほど、正面に回って見てみると、石碑にはたくさんの名が刻まれており、その袂には石で組まれた祭壇が設けられていた。
ラムールでは個人の墓というものは存在せず、村人は亡くなれば皆この石碑の袂に埋葬される。
そして、村人全員で故人を悼み、悲しみを分かち合い、皆で冥福を祈るのだ。
一年前に亡くなったイヴの育ての親カポロも、ここに眠っている。
イヴは、オルヴァの背中の荷物の中からボトルを取り出した。
カポロ婆さんは、結構な酒豪でもあったのだ。
自身は下戸のイヴは、祭壇に据えられていた陶器のカップにワインをなみなみと注いだ。
そして、魔物と幽霊が見守る中、しばしの間じっと無言で石碑を見つめていた。
ラムールの故人達はこの世に未練などないのだろうか。ウォルスのように、イヴの前に現れる幽体は誰一人としていなかった。
彼女を慈しみ育ててくれた、カポロ婆さんさえも――。
(……だけど、その方がいいんだ)
天国へ見送った人達の魂は、この世の全ての柵から解放されて自由になり、もしかしたらもう次の命を始めているのかもしれない。
イヴは自分の中の恋しさと寂しさに蓋をすると、明るい顔を作ってくるりと魔物達の方を振り返った。
「さてと。私はそこらで薬草集めてくるから、敷物でも広げて適当に寛いでて」
そんなイヴの言葉に、シドは周り見回すと呆れたよう返した。
「寛げと言われても、墓地ではなぁ」
「墓地の近くって、質のいい薬草がたくさん生えるのよね。何を、栄養にしているんだろーねー」
「……」
意味深に微笑んだイヴは、摘んだ薬草を入れる袋を片手に、さっそく墓地を囲う塀の周りをうろうろと探り始めた。
ウォルスは相変わらずべったり彼女の肩に貼り付いているし、フェンリルも当たり前のようにその後ろについていった。
シドはもう一度深くため息をつくと、一緒にその場に残っていたオルヴァの背から荷物を下ろし、さすがに慰霊碑からはいくらか離れた場所に敷物を広げた。
そして、その上に荷物番よろしくどかりと腰を下ろすと、自らが用意したポットの紅茶を注いで一息。
ちょこちょこと花畑の中を歩き回る一人と一匹と一体を眺めながら、シドはさらに荷物に手を突っ込んで中を探ると、とあるものをわし掴んで引き抜いた。イヴがせっせと詰め込んできたニンジンである。
シドがそれを一緒に残っていた一角獣オルヴァに差し出すと、彼は胡乱な目をしてシドをじろじろと眺めた。
「まあ、お前も一本やればどうだ」
「……ふん」
オルヴァはしばしの間葛藤していたようだが、結局は誘惑に負けて、ガブリっとニンジンにかじりついた。
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