五臓六腑

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新月の闇

 

 白銀の長い髪に、魔物の証であるルビーのように真っ赤な瞳。
 白磁の肌には温かみは感じられないが、長い睫毛を瞬かせたそれは、確かに生きてそこに立っているのだろう。
 すっと通った鼻筋は形良く、薄い唇は上品だ。
 恐ろしく精巧なシンメトリーに整った容姿には、畏怖さえ覚える。
 しかしながら、その背は低く身体は華奢で、見た目の歳は十にも満たないような幼さ。
 少年のように見えるが、その容貌は中性的で、はっきりと断言はできない。
 シドに“銀狼”と呼ばれた美しい子供は、ひどく冷たい瞳で彼を見返した。

「これは驚いた。お前ほどの魔力を持つ者が、人型になれぬはずはないと思っていたが、まさかこんな可愛らしい子供の……」
「――だまれ」

 じろじろと遠慮のない視線で彼を眺め、面白そうに犬歯を剥き出しに笑んだシドの言葉を、銀髪の子供――フェンリルは鋭く遮った。
 そう――それは、イヴの一番の魔物である美しい銀狼の、人型に変化した姿だったのだ。
 見た目のとおりあどけなく、しかし温度を感じさせない声は、戯れ言を許さない厳しいものだった。
 シドはそれに軽く肩を竦めると、長い脚を踏み出して相手との距離を縮めた。
「では、真面目な話をしよう」
「……」
「俺を森の中で見つけたのは、お前だな。イヴに掘り出させたのは、何故だ?」
 シドは、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
 今日一日一緒にいたことで、フェンリルという魔物がどれだけイヴを大切にしているか、シドにはよく分かった。
 そんな彼が何故、自分のような得体の知れない魔物を、わざわざ彼女の側に置こうとしているのか。
 シドが彼女に害をなさないとも限らないのに、何故近くにいて触れることを許しているのか。
 しかも、どうにもフェンリル自身、必死に我慢してそれを許している態がある。
 イヴにかまおうとするシドを見ないように顔を逸らし、時々は耐えられなくなったかのようにかぶりついてくるのだ。
 彼には、イヴとシドを親密にさせなければいけない理由が、何かあるように見受けられた。
 しかも、本人としては非常に不本意ながら。
「お前は、俺に何をさせたい。それは、イヴのためなのか?」
「……そうだ。イヴのためだ」
 悔しげにシドを睨み付けたフェンリルは、小さな声でそう答えた。

 魔物の魔力は、月の満ち欠けの影響を受ける。
 なぜなら、月の光こそが魔力の源であるからだ。
 一般的に、満月の夜には彼らの力は最高潮に達し、すべての柵から解放されて最も自由になると言われている。
 現に、満月だった昨夜は、人魚のアグネは人の足を得て陸に上がり、夜遊びを楽しんだ。
 力の満ちたフェンリルは森の中でシドという存在を見つけ、月光の影響がまだ強く残るこの夜もまた、人の姿を象り人語を操っている。
 一角獣オルヴァは人型にこそならないものの、その背には真っ白い翼を生やして空に駆け上がるという。
 また、力が増すのは矮小な魔物でも同じことだ。
 小さな彼らは漲る力に浮き足立ち、歌って踊って、大宴会。
 少しばかり騒がしいのも、魔物と共存するユングリングの人々は、この夜ばかりは大目にみてくれる。
 ところが逆に、月がその姿を隠してしまう新月――朔の夜は、魔物たちは静かになる。
 力を失ってしまうわけではないが、それを温存し大人しくあろうという本能が働くのだという。

「これよりおおよそ半月後、月が消え、夜が完全な闇に支配される時――一年のうちで十一番目の新月の夜、ユングリングの空を強大な闇が通る」
「――強大な闇? なんだ、それは」
 それは十数年前のある年、突然ユングリングに現れた。
 朔夜の闇をさらなる暗黒で覆い隠す、“闇”。
 それ自体が、何か悪さをするわけではない。現に、魔力を感知しない普通の人間は、その到来に気づくことさえない。
 ただ一夜ユングリングの空を支配し、朝には通り過ぎる――それだけの存在。
 何かを探しているようだという者もいるが、それが空から降りて来ることも、地上に手を伸ばすことすらない。
 しかし、魔物にとって“闇”は大きな脅威であった。
「“闇の王”とも“黄泉の使い”とも言われているが、その正体は定かではない。だが、力が充分発揮できない朔夜の魔物は、それを恐れ怯える――そしてカポロもまた、それにイヴが連れて行かれると恐れた」
「――イヴが?」
「月が隠れユングリング中の魔力が一様に抑えられた分、変わらず魔を惹くイヴの存在は、新月の夜は特出して目立つ。カポロは毎年、闇が通る夜には幾重にも結界を張って、彼女を隠してきた」
「……しかし、一年前に婆さんは死んだ」
「そうだ。もう、結界を張ってイヴを隠せるものは、この村にはいない。魔物の私にも、アグネにもオルヴァにも、結界は作れない」
 カポロは間違いなく人間であったが、優秀な魔女でもあった。
 彼女が最も得意としたのが、人外との会話の術と、結界を組み上げる術だったのだ。
 それは血によって受継がれる才能であり、薬草のように知識を身につけるだけではどうにもならない魔法であった。
 しかし、男子しか生まなかったカポロの能力は、残念ながら後世に続くことなく彼女の死と共に途絶えてしまった。
 闇の到来が近づくにつれ、結界に頼れないフェンリルは焦った。
 しかし、イヴの側に長く過ごした彼は、あることに気づいていた。
 イヴが魔物に体液を分け与える時に起こる、ある変化に。
 それは毎回唇と唇を合わせることによるのだが、イヴの唾液が魔物に浚われると同時に、少なからず魔物のそれもイヴの中に入る――体液の交わりが起こるのだ。
 その時、彼女が放つ狂おしいほどの甘い香りが、ふっと緩む。
「イヴの魅了はある意味魔力だ。その彼女の魔力と魔物の魔力が交わる時、それらは互いに中和されて無に近づく」
 そして中和の度合いは、魔物の魔力に大きさに比例するのだ。
 イヴが、闇に見つかればどうなってしまうのか、実際のところフェンリルにも分からない。ただ、カポロが感じていた危機感は、やがて彼女と共にイヴを守る魔物にもうつっていった。
 イヴが、何故あれほどまでに魔物を惹き付けるのか。
 彼女の体液が、何故あれほど甘美であるのか。
 その理由を、イヴを育てた魔女はもしかしたら知っていたのかもしれない。
 だが、彼女はそれを誰にも――イヴ本人にさえ伝えないまま逝った。
「大きい魔力が必要だった。イヴの身に満たされた魅了を全て受け止め凌駕できるような、強さと理性を備えた魔物が必要だった。そういう意味ではシド、お前は私の望んだ通りの存在だ」
「それは、どうも」
 イヴを新月の闇に奪われる恐怖を漠然と感じながら、フェンリルは力の強い魔物を探していた。
 カポロは存命中、件の新月の夜だけではなく常日頃から、ラムール村に結界を貼っていた。
 矮小な魔物なら問題なく通り抜けられるものの、魔力の強いものは弾かれて村には入れない。
 高位の魔物であるアグネやオルヴァがイヴの元にやってきたのも、やはりカポロが亡くなって結界が弱まってからだ。
「カポロの結界は魔力に強く作用する。結界の中で過ごすことを許された私は、魔力を抑えられた。その効果は彼女が死んでからもしばらくは残り、一年経った今ようやく私も元の力を取り戻したところだ。……あの森は何度も通ったが、お前の存在に気づいたのもやっと昨夜」
「なるほど。婆さんの結界の作用とやらは、俺から漏れ出す魔力をも抑えていたということか」
 十一番目の新月は、もうすぐそこまで迫っていた。
 焦りを感じていたフェンリルに、迷っている暇などなかったのだ。
 昼間は人の姿をとれない彼はイヴにシドを掘らせ、現れた彼を見て確信した。
 彼なら、闇の目からイヴを隠すことができるに違いない――と。

「それで? お前は俺に何をさせたい? その闇とやらが通る新月の夜の間、イヴの口を吸いまくっていればいいのか?」
「それでことが足りるなら、私がそうする。他の者に任せようなどと思うものか」
 魔物らしく獰猛な笑みを浮かべるシドに対し、フェンリルはさも憎々しげに吐き捨てた。
 声変わり前の少年のような、高く澄んだ美しい声だが、奏でる言葉は硬く重苦しい。
 解放されたフェンリルの魔力は、シドのそれと互角とも言える。
 そもそも、自分の手に負えないような存在を、彼が大切な少女の側に置こうとするわけはない。
 フェンリルがシドにイヴを託そうとする理由は、魔力の大きさだけではないのだ。
 高位の魔物としては他にひけをとらない人魚アグネにも、一角獣オルヴァにも無理なのに、シドには可能なこと。
 それは、一体何なのだろうか。
「では、俺は何をすればいい? これも何かの縁だ、協力は惜しまないぞ」
 そう、軽い口調で紡がれたシドの言葉に、フェンリルはますます苦しげに顔を歪め俯いた。

 月明かりが照らす中、真っ黒い髪の長身の魔物と、白に近い銀髪の小柄な魔物という、対照的な二つの影が対峙する。
 やがて、ようやく決心がついたように、フェンリルは顔を上げた。
 そして、いっそ殺意を込めたような瞳でシドを見据えて、言った。

「新月の夜の間中――イヴを、抱け」





 





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