五臓六腑

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もう一つの最果て

『最果てを求めて』『最果てには届かぬ』読了後推奨


「ヴィー、自分で歩く」
「おとなしくしていなさい」

 本日は、王城の研究室に用があったらしいヴィオラントにくっ付いて、菫は八歳になる一人息子シオンもともないやってきた。
 渋るシオンを引き連れて、王城に張り巡らされた隠し通路の探検に出たまではいいが、結局途中でヴィオラントに捕まり、現在お仕置き部屋まで連行されている最中である。
「そもそも、義母上の元でおとなしくしていると約束して、つれてきたはずだが?」
「だって、皇太后様におもちゃにされそうになったんだもん。青いおめめがキラキラしてたんだもん」
 ヴィオラントは王城に着いた足で、そのまま後宮の奥の皇太后陛下の私室まで妻と息子を送ったのだが、用事を終えて迎えにいってみると、二人ともその場所にはいなかった。
 やれやれとため息を吐いて、心当たりを探そうかと思った時に、後宮の廊下でばったり会ったのが、末の弟であり現皇帝ルドヴィーク。
 彼曰く、菫とシオンは側室の部屋の隠し通路を通って、おそらく騎士団寄宿舎内の第一隊長の私室に向かっているらしい。それは、いつぞやの皇帝の側妃が、愛人であった当時の第一騎士隊長との逢い引きのために作らせた、秘密の抜け穴。
 先日、息子のシオンと、菫の実兄の息子であるスオウの二人が、王城探検と称して歩き回ったことで記憶に新しい。
 確かにその話を聞いた時、菫は「面白そう……」と呟いて、子供達に羨ましそうな目を向けていたことには、ヴィオラントも気づいていた。
 しかし、彼の妻は自他ともに認める結構なめんどくさがりやで、まさか本当に探検に出掛けたりはしないだろうと、ヴィオラントはどこか高を括っていたようだった。

 ヴィオラントが腕の中に捕まえた菫を見ると、出会った頃より長く伸びたふわふわの黒髪には、白い蜘蛛の糸が絡んでいた。
 彼はかすかに眉をしかめると、手を伸ばしてそれを取り除き、彼女のドレスも軽く掌で叩いた。
 幸い、弱冠八歳ながらもなかなか頼りになる息子シオンが、懸命に母の面倒をみてくれたおかげか、真っ暗闇の隠し通路の中で彼女が転ぶことも、埃だらけになることも免れたようだ。
 ヴィオラントはその愛息を褒めた上、生け贄として皇太后陛下の元に送り込んだ。
 聡い息子は、父がこれから母と何をしようと企んでいるのかを悟り、またしばらく二人が自分を迎えに来れないだろうことも予感して、呆れたような大人びたため息を吐いていた。

 ヴィオラントにとって、グラディアトリアの王城は、生まれてから玉座を去るまで、二十六年もの長い時間を過ごした場所である。
 警備の都合上、特に王宮内はほんの細かい部分まで熟知しており、もちろん穴場的な場所もたくさん知っている。
 その一つが、庭園における東屋の一角であり、ヴィオラントと菫はすでにそこでは何度か愛し合ったこともある。
 しかし、今彼が向かっているのは、それとはまた別の場所。
 長い回廊から少し細い通路に入り、そこからはくねくねと角をたくさん曲がった。
 菫がもしも今ここで置き去りにされでもしたら、自力で帰るのはどうにも無理そうだ。
 もちろん、ヴィオラントが彼女を置き去りになどするわけもなく、相変わらず小柄な身体をしっかりと腕に抱き、そうしてようやく、一つの扉の前に辿り着いた。
「……ヴィー、帰ろうよ。ほら、遅くなると、マーサさん心配するよ?」
「マーサは心得ているから、案ずる必要はない。サリバンも然り。我が家の住人は、皆優秀だからな」
「……」
 菫の悪あがきも一蹴し、ヴィオラントはおもむろにポケットから鍵を取り出すと、目の前の扉を開けた。
「……あれっ?」
 扉の向こうを見やった菫は、思い掛けない光景にきょとんと首を傾げた。
 王宮の中でもほとんど人通りのない通路を通ってここまでやってきたが、今も周囲にヴィオラントと菫以外は誰もいない。
 廊下には幾つもの扉があり、おそらくはそれなりに身分のある者のための客室が並んでいる一角のようで、別段賓客を迎えていない本日は使用する予定のない場所。
 ヴィオラントが開いたのは、それらの中でも一番奥に位置する扉――形も色も素材も、他の部屋の扉と全く同じで、特筆すべき部分はなかったが、開いてみてびっくり。
「……なにこれ?」
 客室の扉を開けば、だいたい最初にリビングが広がっていて、その奥に寝室が用意されているのが一般的である。
 しかし、なんと菫の目の前には、いきなり階段が現れたのだった。
 戸惑う菫に構うことなく、扉を潜ったヴィオラントはそれを閉じ、内側からガチャリと鍵をかけてしまった。
 そうすると、窓のないその場所は真っ暗闇に包まれ、何も見えなくなった菫は自分を抱く男にしがみついた。
 そんな彼女と違って暗闇などものともせず、ヴィオラントは危なげない足取りでとんとんと階段を上っていく。
 そうして上まで上り切ると、ようやく開けた場所に出た。
 ヴィオラントは相変わらず菫を抱いたまま、窓辺に近付きカーテンを開け放つ。
 するとようやく、菫にも部屋の全貌を見ることができた。
「ヴィー……ここ、なに?」
「絶対に、邪魔の入らない場所だ」
 それほど、広い部屋ではない。
 絨毯を敷き詰めた床の上には、背の低いテーブルが一つと、大きなソファが一つあるだけ。
 真っ白い壁を飾る絵画もなければ、花をいける花瓶一つない。
 窓は大きいのが一つあるだけで、テラスもない。
 どう見ても、客室とは思えない様相で、言うなれば――
「隠し部屋みたい……」
 部屋の中をきょろきょろと見回し、ぽつりとそう呟いた菫を、ヴィオラントはソファの上にそっと下ろした。
 いやに、大きいソファだ。
 無言のままのヴィオラントに靴を脱がされたので、菫はその上に足を真っ直ぐに伸ばしてみたが、まだ余りある。
 ちらりと後ろを振り返ってみれば、そちらにもまだ余裕はありそうで、おそらく菫が寝転がってもだいぶ余るだろう。
 ソファベッドのように背もたれがフラットになるなら、いつも寝ているベッドと大きさはいい勝負だろうか――などと、心の中で分析していた菫は、旋毛の上に深々とため息を落とされて、上を見上げた。
 そこには、彼女をまたぐ形でソファに両膝を乗せたヴィオラントが、かすかに眉間に皺をこしらえていた。
 その理由を分かっている菫は、肩をすくめて「えへ」と愛想笑いを浮かべてみる。
「……何か、私に言わなければならないことはないか?」
「……」
「スミレ」
 もちろん、誤摩化されてはやらないヴィオラントは、目を逸らそうとした菫の顎を掴んでそれを許さなかった。
 彼の愛する妻は、見た目も中身もいまだ少女のようで、奔放で好奇心旺盛な性格は周囲をよく振り回す。
 以前は、彼女の実兄がその最たる被害者であったが、こちらの世界に来てからは、彼女の魅力に取り憑かれたヴィオラントの二人の弟達に加え、義理の兄となったシュタイアー家の兄弟も、見事に振り回されている。
 最近では、大人びた物言いをするようになってきた一人息子も、被害をこうむることが多くなってきた。
 しかし、総じてそれらは、いわゆる罪のないわがままや悪戯ばかりで、最終的には笑って済ませられることばかりだ。
 何ごとにも自由に振る舞っているようで、菫はいろいろと弁えて生きている。
 今日の探検にしても、隠し通路とは名ばかりで、いまやその存在は公然の秘密となっているし、出口も分かり切っている。
 怪我をしたわけでも、迷って周囲に迷惑をかけたわけでもないのだから、それほど目くじらを立てることでもないのだが、ヴィオラントの眉間の皺はなくならない。
 彼の妻は仕方なく、拗ねたようにちょんと唇を可愛らしく尖らしながらも、小さな声で言った。
「……ごめんなさい」
「よろしい」
 それに答えたヴィオラントの眉間からは、ようやく不穏な縦じわは消えたものの、菫の上からどくつもりはないらしい。
 彼は従順になった妻をソファに完全に寝かせると、片手を背もたれに押し当てたと思うと、おもむろにその手に力を込めた。

 ――ガコッ……!!

「ぎゃあ! ヴィー、こわしちゃだめじゃんっ!」
「前から壊れているんだ」
 おそらくリクライニング機能などないであろう、アンティークで重厚な雰囲気のソファが、大きな音を立てて背もたれを倒し、かなり強引な感じでソファベッドに変身させられた。
 突然のことに驚いて、思わずぴょんと跳ね起きそうになった菫を、ヴィオラントは上に覆いかぶさることで阻んだ。
 とたん、大きなベッドの上に組み敷かれる形となって、菫は甘い予感に身じろいだ。
 そんな彼女の頬に唇を寄せ、いまだ粉さえ叩かれぬ無垢な肌をぺろりと舐めて、ヴィオラントは小さな耳にそっと囁くように口を開いた。
「ここはな、いつぞやの皇帝が愛した、女の部屋だ」
「……え?」
 その言葉に、菫は戸惑ったように再度部屋の中を見回した。
 飾り気のない、こじんまりとした室内。テラスのない窓。
 入り口の扉は客室にカモフラージュして隠され、長い階段は来るものを阻むようにそびえ立つ。
 何より、皇帝の愛人の部屋だというのに、なぜ後宮から離れたこんな場所にあるのだろうか。
 菫の視線に問いたいことに気づいたのであろう。ヴィオラントは彼女の耳になおも囁いた。
「金を積んでも権力を振りかざしても、決して己に靡かなかった女を、皇帝は浚い閉じ込めたのだ」
「……」
「自分以外の者との接触を一切許さず、女をたった一人この部屋に監禁し、夜毎訪れては抱いた」
 眉をひそめて聞いている妻を見下ろしながら、ヴィオラントはなんと愚かな男の話だと思ったが、しかし今は少しだけ、その皇帝の気持ちが分かるような気がした。
 愛しくて愛しくてたまらない女を、他の誰にも触れさせず、己一人で独占できるならば、どんなに喜ばしいだろうか。
 彼女の美しいアメジストの瞳に己のみを映し、彼女の愛らしい声に己の名だけを紡がせ、彼女の小さな身体を己の香りだけで満たしてしまいたい。
「そんなことをしても、余計嫌われるだけだと思うけど」
「まあ、当然そうだな」
「それで、その女の人はどうなったの?」
 ヴィオラントの内に渦巻く狂気など知らぬように、菫はいっそ無邪気な様子で問う。
 甘美な誘惑を抑え込むように、ヴィオラントはすっと瞳を閉じると、ひどく冷たい声でそれに答えた。
「狂って、窓から身を投げた」
「――っ……!」
 菫の身体が、ヴィオラントの下でびくりと強張った。
 それを押さえ付けるように、ヴィオラントはぐっと彼女に密着して覆いかぶさると、戸惑うように揺れる瞳の奥を真っ直ぐに覗き込みながら、
「そなたも、ここに閉じ込めてしまおうか?」
 かすかに掠れた声で、そう告げた。
 菫が、ひゅっと息を飲む。
 そして、次の瞬間眉間がぎゅっと寄せられ、紫の瞳が怒りもあらわにヴィオラントを睨み上げた。
 変なこと言うな――と、一喝されると思った。
 嫌だ――と、拗ねられると思った。
 しかし、彼女が次に紡ぎ出したのは、ヴィオラントの予想とはかけ離れた言葉だった。
「――閉じ込めるなら、レイスウェイク家の部屋にして」
「……」
「ヴィーは屋敷に帰ってしまうんでしょ? ヴィーのいない時間を、私はどうやって過ごせばいいの? ヴィーが来ない夜は、私はどうしたらいいの?」
「……スミレ」
「窓からは飛び降りないけれど、ヴィーがいないと、私寂しくて死んじゃう」
「……っ……」
 そう言った菫の瞳にじわりと涙が滲んだのを見て、ヴィオラントは思わず力の加減も忘れて、彼女をぎゅっと抱きすくめた。
「ぐえっ……」
 そうだ、菫を閉じ込めるなんて、できるはずがない。
 一時の甘美のために道を過てば、愛しい彼女からは笑顔は消え、声は失せ、手足は力をなくすだろう。
 そんなことを、ヴィオラントが望むはずなどないのだ。
 いうことを聞かない妻への、ちょっとした意趣返しのつもりで吐いた、ただの戯れ言。 
「――すまない、嘘だ。そなたを、こんなところに置いてなどいくものか」
「うんうん、嘘なのは分かったから、力緩めて。ギブギブ、苦しいって」
 菫を閉じ込めるというのは冗談であったが、この部屋がかつての寵妃の監禁場所だったのは本当の話だ。
 そして、彼女が窓から身を投げたというのも、本当の話だったが――
「しかし、死にはしなかった」
「それは……よかった」
 この隠し部屋は、王宮の三階にある客室の回廊よりさらに階段を上っているので、おおよそ四階ほどの高さである。
 しかし、たったひとつしかない窓のすぐ下は、なんと三階の部屋のテラスになっていた。
「ちょうど、隣国パトラーシュの当時の王弟が、その部屋に泊まっていた。彼は女を見初めて国に連れて帰った」
「……監禁してまで囲ってた皇帝さんが、よくそれを許したね?」
「罪もない女を監禁するなどという醜聞を、隣国の王族に知られてしまったのだ。それを口外させないために、彼の要求をのまざるを得なかったのだろう」
「……あっそう」
 とにかく、今いる部屋が、怪談話で出てくるようないわく付きの場所ではないことが判明し、菫はほっと胸を撫で下ろした。
 意外に信心深い彼女は、ホラーな話題は結構苦手なのである。
 ちなみに、なぜこの部屋の鍵をヴィオラントが持っていたのかというと……
「幼い頃の私もシオンやスオウのように、ルータスやラウルと一緒に王宮を探検したものだ。この部屋は、その時に見つけた。鍵をくれたのは……」
「くれたのは?」
「……確か、義母上だったな」
「……」
 幼いヴィオラント達は、秘密基地と称してこの隠し部屋で遊び、遊び疲れてうとうとしていたところを探しに来てくれたのは、当時宰相だったシュタイアー公爵ヒルディベルだった。
(あの時は、まだ彼が本当の父親だとは、知らなかったな……)
 そう、懐かしい思いに浸っていたヴィオラントだったが、さりげなく菫が自分の腕の中から逃げ出そうとしているのに気づき、がぶりっと肉食獣が獲物を捕えるように、彼女の首筋にかじりついた。
 もちろん、実際には歯を立てたりしないのだが。
「うわんっ……こそばゆいっ!」
「まだ、お仕置きが済んでいないだろう」
「ごめんなさいって、言ったじゃん。よろしいって、言ったじゃん」
「だが、お仕置きをしないとは言っていない」
 ちなみに、彼らが乗っている大きなソファだが。
 これの背もたれを壊してリクライニング機能をプラスさせたのは、幼い頃のヴィオラント達だった。
「まさか、何十年も経って役に立つようになるとは、思いも寄らなかったな。こういうことを、確かそなたの世界では“因果応報”というのだな」
「いや、たぶん、なんか違うと思うし。もう一回、辞書で調べ直した方がいいと……」
 菫の抗議は、唇を塞いだヴィオラントの中に飲み込まれて、最後まで紡がれることはなかった。




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