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五臓六腑

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最果てには届かぬ



「だめだよ、まずいよ、やめようよ!」
「なによー、意気地なし。ママはシオン君をそんな軟弱な子に育てた覚えはありませんよっ」
「オレだって、スミレちゃんに育てられた覚えはありませんよっ」
 そう言ったシオンの柔らかなほっぺを、「なまいきぃ」と左右にぶにーっと引っ張ったのは、彼のキュートな母上だ。
 息子の目から見ても、お人形のように可愛らしい彼女は、シオンの父の宝物でもある。
 そんな母スミレとシオンが、何を騒いでいるのかというと、まずは今彼らがいる場所が関係してくる。
 そこは、グラディアトリアの王宮の中――今は、現皇帝ルドヴィークの生母である皇太后陛下が主を務める、後宮の一室。
 先日、シオンと従弟のスオウが王城探検をした際、最初に訪れた側室のための部屋であった。
 つまり、寝室のクローゼットの中に隠し扉がある、あの部屋だ。
 ではなぜ、スミレとシオンがそんな場所にいるのかと言うと……
「シオン君とスオウ君だけ、楽しむなんてずるいっ。私も、探検したかった」
 そうスミレが、たった八歳の息子相手に駄々をこねたからだ。
「そういうことはね、父上の前で言ってよね」
「言っても、ヴィーは許してくれないに決まってるもん」
「……分かってるんなら、言わないでよ」
 父ヴィオラントの彼女に対する溺愛の度合いは常軌を逸しており、身内のシオンでも時たま対応に困るほどである。
 確かに、城中を巡らせた隠し通路をスミレが探検するなど、怪我でもしたらどうすると言って許さないに違いない。
 その通路自体については、前皇帝である彼は危険のないものと把握しているが、灯りもないし手入れもされていない穴に、愛する妻を決して行かせたりはしないだろう。
 そうでなくても、シオンは先日スオウと二人で迷いに迷ったあげく、ようやく脱した穴の先が泣く子も黙る宰相閣下の執務室で、真っ黒い笑顔の叔父クロヴィスに震え上がったばかりだ。
 あの時、父はまったく怒らなかったが、母が関わるとなると話は別である。
「何かあったら、オレが父上に叱られるんだよ? 勘弁してよ、スミレちゃん」
「じゃあ、いいよ。シオン君は一緒に来なくても」
 スミレはそう言うと、クローゼットのドレスをかき分けて奥の隠し扉の留め金を外した。
 そして、中心を縦軸にくるりと回転した扉を見て、「うわっ、忍者屋敷ー」と息子と同じ感想を述べると、開いた穴にさっさと入って行ってしまった。
 当然、シオンは焦って後を追う。
「待って、待ってってば!」
「来なくていいって」
「スミレちゃんを一人で行かせたら、それはそれで怒られるに決まってるでしょ!」
「あっそう」
 シオンの気など知らず、我が道を行くスミレは、隠し扉を潜るとすっくと立ち上がった。
「危ないよ! 天井低いんだから、頭打つって!」
「打たないよ」
 焦って叫んだシオンに返ってきたのは、なんとものん気な答え。
 確かにぎりぎり、スミレの頭は通路の天井に届いてはいなかった。
 常々母は小柄だとは思っていたが、改めて彼女がこの世界の女性に比べて格段に小さいということを、シオンは思い知った。
 背は小さいし、手足は華奢だし、こんなにちんまい人間から自分が生まれてきたなんて、いまだに信じられない。
 ちょっと乱暴されたらすぐに壊れてしまいそうで、彼女を大切に大切に守る父の気持ちが、少しは分かったような気がした。
「もう……ほら、真っ暗で危ないから、手を繋ごう」
「うん」
「転ばないでね。絶っっ対、だよ?」
「はいはい」
 シオンは母の手を取ると、柔らかなそれを引いて歩き始めた。
 幸い、この最初の通路は比較的短く、しかも行き着く先は皇帝の私室と判明している。
 ちょうど前回通ったのと同じくらいの時間であるし、皇帝であるシオンの叔父ルドヴィークが部屋にいるかもしれない。
 彼がいれば、夫に黙ってうろうろするのはやめろと、一緒になってスミレを諌めてくれるに違いない。
 そう期待して辿り着いた通路の先は、やはり先日スオウと辿り着いた時同様、カモフラージュの板――変わっていなければ壁掛けの絵画で塞がれていた。
「この扉は、どうやって開けるの? シオン君」
「これは扉じゃないから、強引に押して開けるんだよ」
 シオンはそう言うと、スミレを少し後ろに下がらせて、自分は右足を大きく振り上げて力一杯出口を蹴った。
 ガコンッ――!!
 少年一人の力でも難なくそれは吹っ飛んで、視界はとたんに明るくなった。
 そうして案の定、開いた穴の向こうから、前回と全く同じ驚いた声が返ってきた。
「――なんだ、一体っ……って、またかシオン!」
「ごめんよ、ルド兄。休憩中に」
「あっ、ルドー」
「――っ!? スッ、スミレ!?」
 やはり、すぐ脇のソファで休憩していたらしい皇帝ルドヴィークは、吹っ飛んだ絵画の向こうから顔を覗かせた甥っ子に呆れた顔をし、さらにその後ろからひょっこりと現れた人物を見て、声を裏返して叫んだ。
 ルドヴィークはその昔、スミレに淡い恋心を抱いた時期があり、ようやく諦めがついた今でも、彼女のことを特別気にかける様子は変わっていない。
 彼は慌てて穴に駆け寄ってくると、ぴょんと飛び降りたシオンに倣おうとしたスミレを止め、自らの手で丁寧に抱き下ろした。
「何やってるんだ、スミレは。シオン、だめじゃないか!」
「……なんで、可愛い八歳児の僕が怒られるのよ。逆でしょ」
 まったく、父といい叔父達といい、スミレが関わるといろいろと大人げない。
 シオンはルドヴィークの理不尽な叱責に、半眼になって彼を見上げた。
 それにはっと我に返ったらしいルドヴィークは、今度はスミレに向き直り、ぎゅっと眉間に皺を寄せて精一杯厳しい顔をして見せた。
「また、お前はうろうろして。兄上は、このことをご存知なんだろうな?」
「ご存知ないと思いますケド」
「なっ……! じゃあ、今すぐ兄上のところに戻れ!」
 シオンの期待通り、皇帝は自由人な母を諌めてくれた。
 普段は物腰柔らかで優しい雰囲気のルドヴィークだが、スミレに関わると口調が荒くなり、おそらくいろいろ必死な感じが客観的に見ていて少し面白い。
 しかし、やはりスミレの方が一枚も二枚も上手のようで、彼のそれなりに迫力のある美貌をものともせず、ちょこんと無邪気な様子で小首を傾げると、何事もないように言葉を続けた。
「ヴィーは、何ちゃら研究室に行ってて忙しいのよ。お仕事だもの、邪魔しちゃダメ」
「……なんちゃら?」
 スミレのいい加減な説明にきょとんとした皇帝に、シオンは仕方なく通訳を買ってでた。
「植物関係の研究室でしょ。ちょうど、ルータスおじさんも来てるらしくて、セバスチャンの成長速度がどうのって、よく分からないこと言ってたよ」
「そうか……では兄上は、用事を済ませる間、お前達にどこかで大人しくしているようおっしゃらなかったか?」
「おっしゃらなかった」
「いや、おっしゃったよ、スミレちゃん。おばあさまのところにいなさいって、言われたでしょ? うんって、頷いたでしょ?」
「そうだったっけ?」
 明らかにとぼけてみせる母にため息を吐きつつ、シオンはとにかくこれ以上彼女をうろうろさせないために、協力を求めるよう叔父に目配せをした。
 それに心得た風にルドヴィークも頷いたが、やはり一筋縄ではいかないのがシオンの母である。
 彼女はうーむと腕を組んで考え込んでいたと思ったら、「ちょっと失礼」と断ると、おもむろに皇帝陛下のクローゼットに駆け寄って開いた。
 実はその内部に、この部屋のもう一つの隠し扉がある。
 彼女のあまりの行動の早さに、一瞬呆然と見守ってしまったシオンとルドヴィークだったが、その小さな身体がクローゼットの中に消えると、慌てて後を追った。
「こらっ、スミレ――!」
「スミレちゃん、待ってって!」
 そうして辿り着いた先は、もちろん最初とは別の側室用の部屋。その、クローゼットの中であった。
 シオンとルドヴィークがスミレに追いついた頃には、彼女はすでに両側から操作できるようになった留め金を外し、出口であるクローゼットから這い出したところだった。
「うーむ……」
 スミレは小難しい顔をして腕を組み、仁王立ちして部屋の中をぐるりと見回していた。
 ようやく床に降り立ったルドヴィークが、その背を怒鳴りつけようと口を開きかけた時、彼女はくるりと彼を振り返ると、大真面目な顔をして言った。
「ルド。本命の愛人を住まわせるなら、こっちの部屋ね。浮気するならするで、本妻さんに絶対分からないようにするのも大人の礼儀だから。しっかりね」
「――なっ……!!」
 年下の義姉にさも偉そうに忠告された皇帝は、愛人どころか妻の一人もまだ迎えていないのだ。
 彼があまりのことに口をパクパクさせていると、その隙にスミレの瞳がある一点をロックオンした。
 彼女の視線の先には、壁に掛かった大きな絵画。
 シオンは、自分とスオウと同じ勘が、今まさに母にも働いたことに気づいた。
 あの絵画の向こうには、さらに別の場所に続く隠し通路が控えているのだ。
「――ルド兄っ! 我に返って!」
 自分ひとりで母を止められる自信のないシオンは、ショックで固まっている叔父を叱咤し、もうすでに絵画を外しに掛かっているスミレに追い縋った。
「スミレちゃん、もうやめなよ! 父上にバレない内に、おばあさまのところに戻っておこう!」
「おばーさまは、ママをお人形にして遊ぼうと企んでいるから、戻りたくないんですのよ」
 一度はヴィオラントの言いつけ通り、皇太后の部屋で大人しく待っていようとしたスミレだったが、彼女と彼女の侍女が不穏な笑みを浮かべて、奥から大量のドレスを持ち出した瞬間、ぴゅーと脱兎のごとく逃げ出したのだった。
 ついでに、一緒に用意されていた女児用のドレスが、一体誰に着せるためのものであるのか――スミレと一緒に逃げ出してきたシオンは、考えたくもない。
 皇太后陛下曰く「シオンはヴィオラントの小さい頃にそっくりですけれど、それよりは少し中性的だと思いますの」だそうだが……。
 そうこうしている内にも、絵画は外れて壁にはぽっかりと穴が開いた。
 しかし、よじ登るには、前回のシオン達同様スミレには少し高過ぎる。
 彼女はうーんと顎に手を当てて考え込み、離れた場所にある椅子を眺め、そして焦った顔をして近付いてきた皇帝を見た。
「スミレっ、いい加減に……」
「――ルド、だっこ」
 眉間に青筋を立て、再度怒鳴りつけようとしたルドヴィークに向い、スミレは「ん」と両手を差し出して、上目遣いでねだった。
 その瞬間、かーっと顔を真っ赤にした皇帝の手は、操り人形のように彼女の意のままに動き、その小さな身体を抱き上げさせて、まんまと穴に到達させた。
「――ルド兄の、ばかあ!」
「……はっ、私は一体何を……?」
 穴に潜り込んでしまった母に焦り、シオンは役立たずな伯父に思いっきり悪態をつくと、呆然と立ち尽くした彼の身体を器用によじ登って、壁の穴へと飛び込んだ。
 そして、暗闇の先にちらりと見える、母の淡い色のワンピースを必死で追いかけた。
「スミレちゃんっ!ほんとにだめだから、この道はっ……!」
 この通路の先は、シオンの伯父であり、スミレにとっては血の繋がらない兄である、騎士団第一隊長カーティスの私室に繋がっているはずだ。
 しかし、先日自分の部屋と後宮の一室が繋がっていると知った彼は愕然とし、すぐさま穴を塞ぐよう手配すると言っていたのだから、もしかしたら出口はもうなくなっているかもしれない。
 そうでなくても、この通路はやたらとアップダウンが激しく、距離が長くて足元だって悪いのだ。
 母が転んで怪我をしないとも限らない。
 そう思うと、シオンはとてつもなく怖くなって、ただただ悲鳴のような大きな声で叫んだ。
「待って、待って、お願い――母上っ!!」
「シオン君……?」
 滅多に聞かない「母上」との呼び名に、さすがに立ち止まったスミレが振り返って彼を見た。
 少しずつ暗闇に慣れ始めたシオンの目が、きょとんとした母の顔を捉える。
 シオンはほっと安堵したようにため息を吐き、自分を待つ彼女のもとに走りよって、とにかくその手を取ろうとした。
その時――

「――きゃっ……」
「――スミレちゃん!?」
 短い悲鳴を残して、母の姿がシオンの目の前からこつ然と消え失せた。
 さあっ……と、シオンの顔から血の気が引いた。
 すぐそこにいたはずの、大切な大切なひとが、今はどこにもいない。
 頭の中が真っ白になって、パニックに陥って叫び出しそうになった次の瞬間、ガッと何かがシオンの二の腕を掴んだ。
「――っ……!?」
 そして、悲鳴を上げる暇もなく強い力で引っ張られ、穴から引きずり出される。
 暗闇に開いていた瞳孔に、一気に光が飛び込んできて、シオンは眩しさにぎゅっと目を瞑った。
「――シオン」
 そんな彼の名を、よく知った低い美声が紡いだ。
 弾かれたように顔を上げた先にいたのは、父ヴィオラントだった。
「……父上」
 呆然と見上げるシオンの二の腕を掴んでいたのはヴィオラントであり、通路から彼を引きずり出したのも彼だった。
 そして、その反対の腕には、ばつの悪そうな顔をした母スミレが収まっていて、シオンはほっとして身体の力を抜いた。
 ヴィオラントは、そんな息子の小さな身体を片腕で軽々と抱き上げた。
「シオン、よく母の面倒をみたな。偉いぞ」
 ぎゅっと首筋にしがみついてきたシオンの、自分と同じ白銀の髪を優しく撫でて褒めた。
 どうやら、後宮の側室の部屋から、騎士団宿舎の第一隊長の私室に繋がる隠し通路には、他にも横道に逸れるための隠し扉が設けられていたらしく、先代の皇帝として城のすべてを把握していたヴィオラントは、それを知っていたようだ。
 現皇帝であり弟でもあるルドヴィークに、妻と息子の現状を聞いたのだろう。
 ヴィオラントの背後には、ほっと安堵した様子の彼の姿が見えた。
「父上……折り入ってお話があります」
「うむ、聞こう」
「僕は、やっぱりまだまだいたいけなお子様なので、スミレちゃんのお守りは無理です」
「いや、そなたはよくやった。父は誇らしいぞ」
「っていうか、もうホントこりごりです」
 それを聞いた母が、父の反対の腕から膨れっ面で睨んできた。
 しかしシオンは、彼女が傷一つなく無事父の腕に戻ったことに心底安堵し、ようやく肩の荷が下りた気分だった。
「父上も、もうちょっとスミレちゃんに厳しくした方がいいんじゃない? 言うことなんか、聞きゃあしない」
「――と、息子が言っているが、どう思う? スミレ」
「スミレは厳しく育てるより、褒めて育てる方が伸びるタイプです」
「――だそうだが? シオン」
「甘やかすばかりが愛情じゃないと、思います」
「ふむ……意見が分かれたな」
 そんなレイスウェイク大公爵家の家族会議を、完璧に巻き込まれた形のルドヴィークが戸惑った様子で傍観していた。
 ヴィオラントは、しばしそれぞれの腕に抱いた愛妻と愛息の、お揃いのアメジストの瞳を眺めていたが、一つ大きくため息を吐くと、家長権限を発動してまとめに入った。
「とにかく、今回はスミレに大事もなく、シオンもよくやってくれた――だから、二人とも。そなた達が私の言いつけを守らなかったことは、とやかく言うまい」
「……」
「……」
 そう述べたレイスウェイク家当主の声は、どこまでも穏やかであったが、かすかにちくりと棘が混ざっていたのに気づき、スミレは居心地悪げに肩をすくめ、シオンは冷や汗を誤摩化して明後日の方角を向いた。
「しかし、おばあさまが寂しがっていらっしゃるから、シオンはしばらく皇太后陛下の部屋にいなさい」
「――げっ……」
 それはつまり、大人しくスミレの分まで着せ替え人形になれと、父はシオンに命じているのだ。
「スミレは――息子に心配をかけたことについて、少し話をしようか。――客室を、一室借り切ってな」
「えー……」
 それはつまり、この後密室でお仕置きをするよと、ヴィオラントはスミレに宣言したのだ。
 長兄の意図を正しく理解したらしい皇帝ルドヴィークは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「じゃあ、気が済んだら迎えに来てね、父上」
「ああ」
「その時、僕が女の子になってしまっていても、どうか驚かないで」
「……健闘を祈る」
 シオンは父の腕からぴょこんと飛び降りると、初心な叔父の手を引いて、言い付け通り祖母の部屋に向かうことにした。
 そんな息子の後ろ姿に、小さな妻を片腕に捕えた父は、思い出したように声をかけた。
「ところで、シオン。つかぬ事を尋ねるが、そなたは弟か妹、どちらが欲しい?」
「……」
 ヴィオラントとスミレがこんな昼日中から、密室でこの後どんな話し合いをしようというのか――彼らの賢い一人息子は、ばっちり理解できているので、父の質問を突拍子もないと驚くこともなかった。
 最近本気で、父母が第二子を望んでいることを、シオンはちゃんと知っているのだ。
 シオンは、可愛い妹がいいなとも思ったが、今後も奔放な母に振り回されるだろうことを思うと、将来戦力となる手下が欲しいとも思ったので、
「どちらかというと、弟が欲しいです」
 と、返事をした。
 それに対し、父はすべてを心得たように、うむと頷いた。


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