五臓六腑

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最果てを求めて3

 騎士団長と副長の間に生まれた、まさに騎士のサラブレットともいえる少女は、残念ながら父母のように騎士を目指してはいないようだ。
 オルセオロ公爵家の一人娘アリアーネは、本を読むのが大好きな少女で、自身も将来物語を書くような仕事に就きたいと思っている。
 この日も彼女の登城の目的は、王城にある図書館で本を探すことだったようだ。
 母ミリアニスは、こちらはゆっくりと巨大パフェを食べ切って、皇太后の第一騎士という職務に戻って行った。
 まだ城内探索を続ける気ながらも、明確な行き先の予定のないシオンとスオウは、とりあえずアリアーネについて図書館に行ってみることにした。
 二人も本を読むのは好きな方であるし、城の蔵書の数は凄まじいので見ていて飽きることはないのだ。
 それに、せっかく会えた大好きな従姉ともう少し一緒にいたいというシオンの願いに、スオウも黙って付き合ってやることにしたのだ。
 いつもの大人びて冷めた様子がなりを潜め、八歳の少年らしい無邪気さでアリアーネと手を繋ぐ従兄を、スオウは一歩後ろを付いて歩きながら見守ってやった。

 図書館は、食堂からはそう遠くない位置にある。
 王宮内とは廊下で繋がっているとはいえ、それ自体が独自の建物で二階建てになっている。
 大きな扉をくぐり抜けると、すぐに本棚が立ち並ぶ光景がパノラマに広がり、圧巻である。
 ここで無闇に本を探そうとすれば、それは全くの徒労に終わるであろう。
 本棚はきちんと分野ごとに分けられ整然と管理されているが、何にしろ本の数が多過ぎる。
 そんな時、強い味方になってくれるのが、司書の存在である。
 中でも、この広大な図書館をたった五人で切り盛りする精鋭司書軍団のトップ、ふさふさの白い髪と髭を蓄えた見た目も仙人のような司書長は、ちょっとした名物爺さんだ。
 シオンの父曰く、彼がまだ幼い頃からもう既にそのままの姿で鎮座していたらしいので、もしかしたら本当に仙人かもしれない。
 とにかく、管理する全ての書物のタイトルと著書はもちろんのこと、その本の配置までも完璧に頭に入っているというコンピューター並のデータ力で、図書館の主として崇められている。
 午後の休憩時間は終わったのか、図書館で本を眺めている者の姿は疎らであった。
 シオンもスオウも、ここが混雑した光景はいまだ見たことはないが。
「おじいさん、こんにちは」
 もちろん、この図書館の常連でもあるアリアーネも、司書長とは顔見知りである。
 彼は、長く伸びた真っ白い眉毛の下に隠れて、開いているのかいないのか分からない目を更に細め、挨拶を寄越した少女と少年たちにゆったりと頷いた。
 アリアーネは司書長に欲しい本の場所を尋ね、彼女が若い司書と共に本を取りに行っている間、シオンとスオウは何とはなしに窓辺に寄った。
 すると
「あ、父上たち……」
「ヴィーさんとスミレちゃん、どこへ行くんだろうね?」
 窓の向こうには庭園が広がっていて、遠くにちらりと先ほど食堂で別れたシオンの父母の姿が見えた。
「伯父さま達、いつも仲睦まじくいらっしゃって。本当に素敵なご夫婦ね」
 目的の本の貸し出し手続きを済ませたらしいアリアーネも、従兄弟達の隣に並んでにっこり微笑み、夫婦の背中を見送った。
 彼女の言う通り、シオンの両親であるレイスウェイク大公爵夫妻は実に仲が良い。
 特に父の母への溺愛ぶりは、実の息子であるシオンさえも時々呆れるほどで、彼の世界は妻を中心に回っていると言っても過言ではない。
 両親が仲が良いというのは子供にとっては喜ばしいことだが、その睦まじさに常時当てられっ放しのシオンとしては、「ちょっとは傍目を気にして遠慮してよ」と言いたくもなる。
 しかしながら、大国一の美貌とカリスマ性を誇った先帝閣下と、愛玩人形のように愛らしく不思議な魅力をたたえた少女の恋物語は、様々な脚色を加えられつつ女子の間では憧れの象徴となっている。
 実は、彼らをモデルにした恋愛物語が既に出版され、世の乙女のバイブルとして絶大な人気を誇っているとか。
 本好きな乙女であるアリアーネもその物語の熱心な愛読者であり、シオンの父母を見る彼女の目には、いつも若干フィルターが掛かっているようだ。

 さて、アリアーネの用事は、目的の本が見つかったことで終了したらしい。
 これからどうしようか、と彼らが言葉を交わそうとした時、雲の上の仙人のようにカウンターの向こうに鎮座していた司書長が、よっこらしょっと立ち上がった。
 そして、彼は窓辺にたむろしている子供達をちょいちょいと手招きした。
「おいで、坊ちゃん嬢ちゃん達。いいものを見せてあげようねえ」
 彼はそう言うと、年齢を感じさせない軽い足取りでひょいひょいと本棚の合間を歩いて行き、シオン達も誘われるままにその後を追った。
 司書長は、途中ですれ違った部下に「奥に行っているよ」と声を掛けると、子供達においでおいでをしながら、図書館の奥へ奥へと進んで行く。
 奥へ進めば進む程人影は疎らになり、ついに突き当たりに着いた頃には、周囲に司書長とシオン達四人の他には誰もいなくなっていた。
 一番奥の本棚には、分厚い辞典の全集が納められていて、一冊ずつでも相当重いだろうと予想されるが、司書長は徐にそのうちの一冊を取り出したかと思うと、それを一番下の棚に差し入れた。
 更に、別の本を取り出しては場所を移し、それを何度も何度も繰り返す様子を戸惑いながら眺めていたシオン達の耳に、やがて――カチリ……と、小さな小さな音が聞こえた。
 それは何か、古い鍵か仕掛けが外されたような音であった。
 弾かれたように顔を上げた子供達の前で、納められた本の重みでびくともしないだろうと思われた本棚が、スススッ……と音も無く横にスライドした。
 その向こうに頑丈そうなつくりの大きな扉が現れ、司書長はポケットから鍵の束を取り出す。
 鍵を外して開いた扉の先に広がっているのは真っ暗闇で、司書長の後に続いて恐る恐る足を踏み入れたシオン達だったが、灯りが灯されると「わあっ……!」と思わず感嘆の声を上げた。
 そこに納められていたのは、この場所が図書館であるからやはり書物なのだが、それらは四方の壁に据え付けられた本棚にびっしりと詰まっている。
 しかも元来二階建て建造物であるはずが、この奥の部屋だけ一階の天井をぶち抜いてあるらしく、本棚は遥か高く建物の天辺に向かってそびえ立っている。
 最頂の段の本を取るには、相当の苦労が必要だろう。
 よくよく見渡せば、四方にはそれぞれ長い長い梯子が用意されており、上の方の本が欲しければそれに登るしか手段はなさそうだ。
「ここには、古くて貴重なものがたくさん保管されておるんじゃよ。傷みが進んでいるものも多くてのぉ……我々司書が少しずつ修復してから表の棚に移しておる」
 それらはけして門外不出の極秘文献や資料ではなく、最終的にはこの図書館を訪れる全てが者が閲覧できるようになるのだが、まだ表に出せる状態ではないので、シオン達も見て回るのは構わないが不用意に手を触れてはいけないと忠告された。
 もちろん、分別ある子供達は司書長の言いつけを守ったし、彼が目的の数冊を本棚から選んでいるのを黙って見守っていたが、そんな中ある一点の不自然に瞳が引きつけられた。
 それは、これまで幾つもの隠し扉を見てきたシオンとスオウだからこそ、気付けたのかもしれない。
 鍵を外して入ってきた扉から見て、ちょうど対角。
 奥の壁にひっそりと、それは巨大な本棚の影に隠れるようにして、実に慎ましやかに存在した。
 一つだけ、普通サイズの本棚。
 その中には、さっき見たような辞書の大全集が詰まっている。
 思わず駆け寄った少年達は顔を見合わせ、「おや?」と振り向いた司書長に対し、シオンは丁寧に問いかけた。
「おじいさん、この本は触ってはいけませんか?」
「……ふむ、丁寧に扱ってくれるならば構わないよ」
 司書長は、一瞬意味深な様子でシオンをじっと見据え、それからいつも通り優しげに顔を綻ばせて答えた。
「えっと……、一番上の段の右から二番目を、一番下の段の左から三番目に。上から三段目右端のを五番目まで移動。それから……」
 辞書はやはり大きく重く、まだ幼い少年達の手には余ったが、シオンはスオウと力を合わせてそれらを次々と移動させていった。
 その後ろでアリアーネは不思議そうに首を傾げ、司書長は面白そうに目を細めて黙って見守る。
 やがて、彼らはぜいぜいと息が上がりつつも辞書の移動を終えた。
 しかし、特に何かが起こる気配はない。
 この本棚も先ほどの入り口のような仕掛けになっていると踏んだシオンは、司書長がさっきやった通りに真似てみたのだが、どうやら鍵は同じではなかったのだろうか。
 ううむ、と眉間に皺を寄せて腕を組んだ彼だったが、その後ろから皺くちゃの手が伸びてきて、シオンの父親譲りの白銀の髪を優しく撫でた。
「いやはや、さすがはヴィオラント様のご子息じゃ。鍵の順番をあの一瞬で覚えなすったのかい」
 司書長は「子供とて侮れぬのぉ。恐れ入ったわい」とにこにこ笑い、「ご褒美に教えてあげようねぇ」と続けて、シオンとスオウが最後に動かした辞書を手に取った。そして、それを別の場所に嵌め込むと、
 ――カチリ……
 聞き覚えのある小さな音が、天井の高い部屋の中に響いた。
「一番最後だけ、場所を変えてあったの?」
「そうじゃよ。今わしらがいる部屋自体は特別秘密ではないが、これより更に奥の存在はここの司書達にも教えてはおらん」
「えっ……」
「まあ、坊ちゃん達は王族じゃからのぉ。知っても問題はないじゃろうて」
 ただしむやみに口外しないよう言い聞かせてから、司書長はスススッ……と鍵の外れた本棚をスライドさせた。
 本棚はやはり、重い辞書が何冊も詰まっているとは思えないほど軽やかに動き、その背後からは頑丈な作りの扉が現れた。
 司書長は己のポケットをあさり、先ほど取り出した鍵の束ではなく、一本だけ別になっていた鍵で扉を開いた。
 その奥はやはり真っ暗で、すぐ先の足下さえ全く見えない。
 シオンとスオウが顔を見合わせていると、司書長は真っ白い髭の奥で楽しそうに笑った。
「なに、おかしなところにゃ通じとらんよ。どこへ続いているのか見てきてごらん」
 そう言われると行かないわけにはいかない。
 元々シオンとスオウは王城の探検をしていたのだし、思い掛けず出会った秘密の通路にはワクワクする。
 特にシオンにしてみれば、大好きなアリアーネの手前、「真っ暗過ぎて怖いので行きません」など、かっこわるくて言えるわけが無い。
 アリアーネは、この後家庭教師との約束があるとのことで、秘密の通路には入らず帰宅することになった。
「真っ暗なのに大丈夫なの?」と心配する彼女に、「平気平気」と胸を張って返事をしたシオンは、後に引くわけにはいかない。
 そうなると、とことん付き合いのいいスオウも、もちろん一緒だ。
 司書長は、二人に小さなランプを貸してくれた。
 灯りが小さいので遠く先は見えないが、足下が照らせるだけでもましである。
 ランプの灯りを掲げて奥を覗き込み、意を決したシオンはふと、背後に佇む老人を振り返った。
「おじいさん、ひとつ聞いても?」
「何かね?」
「父上は……この奥のこと、知っているんですか?」
 司書長はそんな質問に是とも非とも答えず、ただにっこりと笑みを深めた。
 シオンは、それが愚問であったことを知る。
 あの父が、この王城の全てを知らないわけがないのだ。
 何となく悔しい思いを抱きつつ、シオンは片手にランプを掲げ、もう片方でスオウと手をしっかり繋いで、歩き始めた。
「行くぞ、スオウ」
「うん」

 ランプの仄かな灯りが見えなくなると、司書長はそっと扉を閉じて鍵をかけた。
 再び本棚を元の位置に戻し、辞書を移動させてそれが動かないようからくりを仕掛けると、アリアーネを促して裏の書庫からも出る。
「おじいさん、あの通路はどこに通じているんですか?」
「外じゃよ。詳しい場所は、また彼らに聞くといい」
 そう答えた司書長は窓辺に寄り、目の前に広がる庭園に目を細めた。

 今度の通路は、それほど長い距離ではなかった。
 ランプがあるせいで、幾分かは歩きやすく、通路の様子も見渡せた。
 簡易な作りであり、やはり横幅自体は広くはないが、高さはあって大人でも身を屈めずに歩いて進めそうだ。
 途中には下りの階段があり、シオンとスオウはランプで足下を照らしながら慎重に進んだ。
 それからしばらくまっすぐに進むと、今度は上りの階段に辿り着いた。
 どうやら地下を通ってどこかに通じているようだ。
 階段を上り切ると、遂に目の前に扉が現れた。出口であろうか。
 シオンはようやくそこでスオウと繋いでいた手を放し、扉の取手を回してみた。
 幸い施錠はされておらず、難なく扉は開いて、二人は外へと飛び出した。
「わっ……ここ、庭園?」
「外に通じてたんだな」
 扉の向こうに広がっていたのは、王城が誇る見事な庭園の風景であった。
 青々と葉が茂り、様々な色や種類の花々がシオンとスオウを出迎えてくれた。
 シオンはランプの灯りを消し、きょろきょろと周りを見渡してみる。
「庭園のどの辺だろ? 木とか花とか、どれも同じに見える」
「同感~。現在地不明」
 シオンは父のように植物に精通していないし、そもそもあまりガーデニングにも興味がないので、王城の庭園にも馴染みが無い。
 綿密に花の特性や季節ごとにきちんと区分けされている庭は、見る者が見れば自分が今どの辺の位置にいるのか想像もできようが、残念ながら知識のない少年達には皆目検討もつかない。
 人に尋ねようにも、自分達以外どこにも人影は見えず、庭の中で仕事をしているであろう庭師の姿さえ見付けられない。
 出て来た扉の方を振り返ってみると、それはどうやら大きな倉庫の裏のようで、人の出入りが多い建物ではないようだ。
 もちろん、出発点である図書館の建物とも全然違っていた。
 仕方なく、とりあえず二人は道に沿って歩いてみることにした。

 それはまるで、迷路のようだった。
 両側を緑の壁に挟まれて、くねくねと曲がったと思ったら突き当たり。仕方なく戻って、また違う方向に進むという具合。
 そうこうして辿り着いた先に、シオンとスオウはゆるりと蔓が絡まった緑のアーチを発見した。
 それこそがようやく迷路の終着点だろうかと、中を覗き込んだ二人の視線に人影が映る。
 しかもそれは、彼らを城に連れてきてくれたシオンの父の背中だった。
 ああよかったと、ほっと安堵の溜め息をついて彼に声を掛けようとしたスオウの口を、しかしシオンが徐に両手で塞いで木の影に引っ張り込んだ。
「――なっ、もう、何するのさっ!」
「しーっ!しーっ!! ばか、声がデカいよ」
 文句を垂れるスオウを黙らせると、シオンは垣根の隙間を指差し、ひそひそ声で「よく見てみろ。そして、空気を読め」と告げた。
「……」
 言われるままに覗き込んだスオウが目を凝らすと、アーチを潜った奥にはひっそりとした東屋が作られ、その下には白いベンチが一つ設えられているのが見て取れた。
 そして、こちらに背中を向けたシオンの父はそのベンチの前に跪き、男の大きな身体で最初は見えなかったが、彼の向いにはどうやらシオンの母もいるようだ。
 奥から真っ白く華奢な両腕が伸びて来て、ふわりと彼の背中に回される。
 普段はドレスに隠れてけして見れないはずの小さな膝小僧が、見開くスオウの目に飛び込んできた。
「しっ、ししししし、シオンっ……!?」
「だから静かにしろってば。無粋なやつだな」
 先ほど、シオンの父母は庭で何してるんだろうと図書館の窓から見送ったが、どうやら仲睦まじい彼らは、昼日中から庭園の一角で二人きりの時間を楽しんでいたらしい。
 それに気付いたスオウは全身真っ赤になり、シオンは慣れた様子で垣根の隙間から両親を観察――つまり出歯亀した。
「やっ、やめようよ、シオン! 覗き見なんて、いやらしいよ!」
「何言ってんの、このピュアっ子が」
 スオウは覗き穴からシオンを引き剥がそうとするが、彼はニヤニヤ笑うばかりで聞く耳を持たない。
 それどころか、スオウの首をホールドして、「お前も見とけよ。優斗伯父さんよりかは参考になるぞ」と、垣根に一緒に顔を突っ込ませた。
 シオンは上手く隠れているつもりだったし、スオウも顔を真っ赤にしながら両手で口を塞いで、声を立てないようにした。
 しかし、やはり相手が悪過ぎた。
 背中を向けていたシオンの父が、首だけゆるりと振り返ったかと思うと、その視線は少しも彷徨うこと無く真っ直ぐに出歯亀少年達を捉えた。
 息を呑む彼らと、バッチリ目が合う。
 次の瞬間、シオンの父の口角が、くっと上がった。
「ぶわっ……父上、俺たちがいるの分かっててやってる! タチ悪ぅう!」
「わっ、わっ、わあああーーっ!!」
 父の挑発的な笑みに青ざめたシオンと対照的に、ゆでダコのように顔を真っ赤にしたスオウは、連れの腕を強引に引っ張ってその場から走り出した。
「もうもう、ばかばかばか、シオンのおばかっ! だからやめようって言ったじゃんか~っ!!」
「ちょっ、おい! 落ち着けって、スオウ!」
 パニックに陥ったスオウは我武者らに走り続け、シオンは戸惑いながらも、引っ張られるまま付いて行くしか無かった。
 一方、シオンの父ヴィオラントの腕の中で、甘い溜め息をついた母スミレは、大きな紫色の瞳をパチクリさせた。
「なんか今、聞き覚えのある声がしたけど?」
 上気してとろりとした顔で問いかけられたヴィオラントは、先ほどの挑発的な笑みとは正反対の、甘く蕩けるような微笑に口端を緩め、妻の唇を柔らかく啄んだ。
「うむ。……だが、もう去った」
「……あっそ」
 限られた者しか知らない秘密の庭園に、仲睦まじい夫婦の邪魔をする者はもう現れなかった。

 そうして、ようやくスオウの興奮が収まった頃。
「……で、ここ、ドコ?」
「……さあね」
 シオンとスオウは再び緑の迷路の中。
 自分達が今どこにいるのか、全く分からなくなってしまっていた。
 しかも、元来た道と反対側に走って来てしまったようで、図書館から通じていた扉にさえ戻ることが出来なくなった。
 それから二人は、ひたすら庭園の中を歩き回った。
 しかし、出会うのは鳥や虫ばかりで、誰も少年達に道を教えてはくれない。
 やがて、空が赤く染まり始めた。
 夕刻が迫っていることに焦り出したシオンとスオウが、いい加減なりふり構っていられないと、大声を張り上げて助けを呼ぼうとした時、彼らの目の前に蔦に塗れた古びた扉が現れた。
「……シオン」
「……うん」
 冷静に考えれば、そのような不審な扉を開いて入り込むより、誰か大人に気付いてもらえるよう大声を上げる方が得策であるが、シオンもスオウも半日近く王城の中を歩き回って相当疲れていたし、何より彼らはまだまだ幼い子供だった。
 とりあえず建物の中に入ってしまえばどうにかなるのではと錯覚し、迷うことなくその扉に飛び込んだのだ。
 もう何年も使われていないような様子だったが、鍵もかかってはおらず、それは少年達を容易く迎え入れてくれた。
 中は、もちろん灯りなどなく、真っ暗闇であった。
 司書長に貸してもらったランプは、我武者らに走っている内に落としてしまったようで、もう手元にはない。
 シオンとスオウは互いに手を握り合い、壁を伝って一歩一歩前に進むほかなかった。
 途中には大きな上りの階段があり、彼らは疲れた足に叱咤しながら這うように上った。
 やがて、前方に微かな光が見えた。
 それは、疲れ果てた少年達には、眩い希望の光に見えた。
 彼らはだっと駆け寄り、最後の力を振り絞って互いの両足を引き上げた。
 そして

 ガコンッ――!!

 蹴破った感触は、騎士宿舎の第一隊長の私室に通じるそれと、ほぼ同じだったように感じられた。
 明るい光に包まれた途端、シオンとスオウは手を繋いだまま光の中にとび来んだ。
 着地した地面は何故か、「ぐえっ……!」と潰されたカエルのような声を上げたが、それに構っている余裕など少年達にはなかった。

 何故なら

「――やあ、おかえり、坊やたち。探検は楽しかったかな?」

 人の気配にほっと顔を上げた彼らを、両腕を組んで仁王立ちして見下ろす人物がいたからだ。
「わーっ! 魔王だーっっ!!」
「鬼だ、般若だーっ!!」
 優しい声色と微笑みを浮かべた口元を裏切る、真っ黒いオーラを纏った相手はシオンの父の弟、この国の宰相クロヴィスその人であった。
 通路の終着点は、なんと泣く子も黙る宰相閣下の執務室だったのだ。
 実は、甥っ子達を心配した皇帝ルドヴィークの命で、本当に騎士の一人が少年達をサポートすべく後を追っていたのだが、図書館に入った所で彼らを見失ってしまった。
 司書長にその所在を尋ねても、庭園にいるとだけしか教えてもらえず、仕方なく同僚の応援を得て探したのだが、夕刻になっても彼らの発見には至らなかった。
 その報告を受けたルドヴィークは慌て、「心配ない」と言う彼らの両親を振り切って、騎士団に子供達捜索命令を出してしまったのだ。
 かくして王城は大騒ぎになり、その事情は当然宰相であるクロヴィスの耳にも入ったいた。
「叔父さんも、とっても心配したんだよ。シオン君、スオウ君。ええそれはもう、仕事が全く手に付かないくらいにね」
 彼は真っ黒い笑みを浮かべたまま、顔を引き攣らせる甥っ子達の首根っこをぐわしっと掴んだ。
「ほら見なさい。私の有能な副官も、君たちを心配し過ぎて使い物にならなくなってしまった」
 その言葉に、シオンとスオウが自分達の足下に目をやると、机に突っ伏してしまった大男の姿があった。
 なんと、先ほど二人が暗闇を突破すべく蹴破ったのは、宰相の副官の執務机のすぐ後ろに掛かっていた大きな絵画だったのだ。
 頑丈な額に入れられたそれはもちろん、何も知らずに背中を向けて政務に励んでいた副官を直撃し、更にその上にシオンとスオウが着地した。
 如何に文官らしくない筋肉に包まれた男とはいえ、八歳男児二人分の体重を不意打ちで食らうのは辛かろう。
 彼は右手にペンを握ったまま、伸びてしまっていた。
「さて、君たち。……どうしてくれましょうか」
 いっそ猫なで声にも聞こえる優しい音で、「ねえ?」と覗き込んできた宰相閣下の青い瞳の奥がめちゃくちゃに怖くて、シオンとスオウは震え上がって叫んだ。
「うあああ、ごめんなさい!」
「ごめんなさい、もうしませんっ!」

 少年達の探検は、女の戦場後宮に始まり、宰相閣下の執務室に終わった。
 彼らはそこを“伏魔殿”と呼んで恐れ、以後滅多なことでは近付かなくなった。

 その日の夜。
 シオンが何年かぶりにおねしょをしてしまったのは、女官長マーサと二人だけの秘密である。
 スオウが何年かぶりにおねしょをしてしまったのも、母と二人だけの秘密である。


<おわり>
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