最果てを求めて2
今度の隠し通路は、先に通った二本に比べて格段に長かった。
しかも、上りも下りもあって道は平坦ではなく、暗闇にいくらか目が慣れようとなかなか困難な道のりであった。
「こりゃ、後宮の外に続いてそうだな」
「迷わない?」
いつも何にでも積極的でぐいぐい引っ張って行くのがシオン、気が弱そうで優しげな雰囲気だがとことん付き合いがいいのがスオウ。
普段は別々の世界で生活している彼らだが、誰よりの仲がよく気が合う二人である。
シオンは、幾分不安げな声を上げたスオウの手をぎゅっと握った。
スオウも、シオンの手をぎゅっと握り返す。
そうすれば、二人にもう怖いものはなくなった。
最後に、大きな下りの行程があった。
足下が滑らないように互いに壁に片手を突っ張って支え合い、それを無事にクリアした少年達に残されたのは真っ直ぐな通路で、ついにその先が行き止まりになっていた。
これまでの例を考えると、それが出口の隠し扉に間違いないだろう。
案の上、道の終わりを塞いでいたのは大きな板で、最初の隠し通路の終点と同じく隙間から光がもれている。
シオンとスオウは手を固く繋いだまま、再び互いに利き足を振り上げた。
息ぴったりの彼らには、もうかけ声など必要なかった。
ガコンッ――!!
出口を塞いでいた板は見事に外れて吹き飛び、少年達は終点が何処かも確かめぬまま、穴から飛び出した。
しっかりしているとはいえやはり八歳の子供である。シオンもまたスオウと同様、あまりにも長く続いた暗闇に不安を抱いていたのだろう。
「――なっ……!? シオン? スオウ?」
そうして、暗闇に慣れた瞳が明るさにようやく順応し始めた頃、再び少年達の耳に聞き覚えのある、そしてひどく驚いた声が響いてきた。
「あれっ?……カーティス伯父さん?」
「なんで、カーティスさんところに……?」
唖然とした顔をして二人の前に立っていたのは、シオンの母方の伯父の一人だった。
伯父といっても、元々スオウの世界の人間であるシオンの母が、父に嫁ぐ都合上カーティスの父母と養子縁組しただけで、彼らの間に血縁関係はない。
しかし、カーティスは義理の妹となったシオンの母を溺愛しているし、もちろんその息子であるシオンのこともとても可愛がってくれている。
彼は、先ほど皇帝を迎えにきた第一騎士ジョルト率いる騎士団に属し、精鋭第一隊長という高い位に就いている。
「カーティス伯父さん、ここはどこ?」
「ここは、騎士団宿舎の私の私室だ。お前達、なぜそんなところから……いや、そもそもその穴は一体……」
シオンとスオウの元に駆け寄ってきた伯父は、ひどく困惑した様子であったが、隠し通路で汚れた二人の衣服の埃を大きな手ではたいてくれた。
その優しい手付きに安心したらしい少年達は、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「伯父さん、第一隊の隊長さんって代々この部屋なの?」
「あ、ああそうだ。団長副長以下、長と付くものの私室は代々受継がれることになっているな」
カーティスの言葉に、シオンとスオウは互いに顔を見合わせ頷き合った。
「ってことは、いつぞやの側妃さまは、その時代の第一隊長と密会してたってことか……」
「うわぁ~、皇帝さまと騎士さんに二股かけてたってコト? 三角関係かぁ~」
「いや、皇帝には最初の隠し通路の側妃もいたから、四角関係じゃね?」
「……お前達、一体何の話をしているんだ……」
そのあと、甥っ子達から隠し通路の存在と通じる先を聞いたカーティスは青ざめ、すぐさま塞ぐように申請すると言い出した。
今はまだ皇帝が後宮に女性を迎え入れていないからいいようなものの、いずれこの先誰かが隠し通路の先に住まうことにでもなれば、疾しいことは何一つなくても、真面目な性格の第一隊長には落ち着いてはいられまい。
面白いのにー。塞いだらもったいないよー。と文句を言う甥っ子達に溜め息を吐きつつ、カーティスは彼らに向き合った。
「そもそも、無闇に城の中をうろうろしてはいけない。ここは子供の遊ぶような場所じゃないぞ」
シオンもスオウも、この生真面目な伯父がとても好きだが、いささか説教臭いところが玉にキズだと思う。
「ヤバいなあ、カーティスさんスイッチ入っちゃったよ。説教長そう……」
「よし、俺に任せとけ。伯父さんが弱いもの、ちゃんと知ってるんだー」
厳めしい顔をして腕を組み、説教モードに入った彼の前で、顔を寄せ合ったシオンとスオウはこそこそと囁き合った。
「こらっ! シオン、スオウ。聞いているのか」
そんな少年達が何を話していたのかは知らず、厳しく一喝した第一隊長だったが、小さな甥っ子が父親譲りの美しい白銀の前髪の間から、そろりと母親そっくりの紫の瞳で上目遣いに見上げてくると、うっと喉を詰まらせたように絶句した。
「カーティス伯父さん、ごめんなさい。どうか怒らないで……」
「うっ、いや……怒っているわけでは……」
「僕たち、皆が一生懸命仕事している姿を見学して、自分も将来どんな仕事に就こうか考えようって思って……」
まだまだ幼いシオンは声も高く、全体的な造形は父親からの遺伝が濃いが、大きな瞳やまろやかな頬は母親によく似ていると言われる。
そしてカーティスは、猫被りの上手い義妹の上目遣いと甘えた声に滅法弱い。
それにそっくりな甥っ子にも弱いのは当然のことで、先ほどまでの厳めしい顔つきなど忘れてしまったかのように、途端に形のいい眉尻をとろりと下げてしまった。
「そ、そうかそうか。こんな小さな内から将来のことを考えているなんて、シオンもスオウも偉いぞ」
彼はそう言って、えへへと愛らしい様子ではにかむシオンの頭と、その隣で相方の猫かぶりに引き気味のスオウの頭を、褒めるようによしよしと撫でた。
そして、何かおやつでも食べてきなさいと二人にお小遣いを握らせ、騎士団宿舎の入り口まで送ってくれた。
どうやら騎士団は午後の集中鍛錬前の休憩中だったらしく、カーティスも甥っ子達の後ろ姿を見送ると、愛用の模造刀を片手に訓練場へと去って行った。
「お小遣い、たくさんもらっちゃったね、シオン」
「うん、カーティス伯父さん太っ腹だよね。あの人相当稼いでるはずなのに、使う機会ないんじゃないのかな?」
伯父と別れた途端被っていた猫を脱いだシオンに苦笑しつつ、スオウは貰った金貨を掌で弄びながら、彼と並んで歩き始めた。
カーティスはシオンとスオウにそれぞれ一枚ずつ金貨をくれたが、金貨一枚とは庶民ならば一月食うに困らない額であり、ふらりとやってきた親戚の小さな子供にやるには多過ぎるだろう。
「金銭感覚、ちょっとヤバいよね」
「まあ、仕方ないよ。あの人、お坊ちゃんだからさ」
そんな伯父にちょっと呆れつつ、シオンは懐から懐中時計を取り出して、時間を確認した。
二人が皇太后に送り出されてから、もう二時間程経っていた。
「ちょっと疲れたね。せっかくお金もらったし、何か食べに行く?」
「だな。父上達は夕刻まで城にいるだろうし、食堂でも行って休憩しようか」
そう言って二人がやってきたのは、王城で一番大きな食堂である。
城内には他にもいくつかお茶や食事ができるカフェのような場所があるが、ここはいつも一番賑わっている。
休憩中の文官らしき姿もあれば、今日は非番なのかラフな格好の騎士の姿もあり、また大臣や名の知れた貴族といった身分の高い客も見受けられる。
身分を問わず利用することが許されているのがこの食堂の良い所であり、それぞれおもいおもいに食事や会話を楽しんでいる様子は、この国が如何に平和で穏やかであるかを物語っている。
それもこれも、シオンの父である先帝の偉業と、それを引き継ぎ上手く御してきた現帝の功績であり、幼いながらもシオンは彼らを誇りに思うのだった。
シオンもスオウも昼食は皇太后に招待されて頂いたので、それほど空腹を感じているわけではなかったが、先ほどの隠し通路の行程にはいささか疲れを感じており、喉も渇いていた。
一番混み合うランチの時間帯からずれていたことで、席はじゅうぶん空いている。
とりあえず適当な席に着こうかと中を見渡していると、そんな彼らに向かって奥から手を振っている人物がいた。
「シオン、スオウ。こっち、こっちよ~」
美しい金髪を長く伸ばした、シオンとスオウと同じような年頃の少女だ。
彼女の姿をみとめた途端、シオンの紫色の瞳がぱああっと輝きを増した。
「アリアーネ!!」
「あっ、久しぶり~」
席の合間をぬって駆け寄ったシオンと、その後からのんびりやってきたスオウを順に見つめた少女は、にっこりと愛らしく微笑んだ。
「あなた達も城に来ていたのね。会えてうれしいわ、シオン、スオウ」
アリアーネという名前の少女は、シオンの父方の従姉である。
先帝の妹にして、現帝の姉でもある人物を母に持ち、父親は先ほど皇帝を会議の間に促した騎士団長だ。
「ミリアニス叔母さま、お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね、シオン。スオウも元気そうで嬉しいよ」
「こんにちは、ミリアニスさん」
更に、騎士団副長という地位に就いているアリアーネの母親は、娘の向いの席に座ってシオンとスオウを迎えてくれた。
どうやら珍しく登城した娘とその母君のお茶の席に、少年達はいいタイミングで辿り着いたらしい。
彼女達もたった今席に落ち着いたところらしく、メニューの注文もこれからのようだ。
まだ背の高さが微妙に負ける一つ年上の従姉にハグを済ませたシオンは、喜びに頬を紅潮させたまま叔母に向き直った。
「ミリアニス叔母さま。今日は僕にごちそうさせて下さい」
「おや、シオン。小さいのに紳士だね」
シオンは、従姉のアリアーネが大好きなのだ。
彼女の穏やかで優しく、しかし共に騎士である両親に育てられてしっかりと芯の通った姿勢には、憧れさえ抱いている。
シオンの、「大きくなったらお嫁さんになってね」なんて可愛らしいアリアーネへのプロポーズは、既に彼が物心つくかつかないかの頃から繰り返されている。
当然、それを間近で見続けてきたスオウは、「人にもらったお金でおごるとか、胸はってよく言えるよね~」と呆れながらも、その恋路を邪魔するつもりは毛頭ない。
「アリアーネも、何でも好きなもの注文して」
「まあ、シオン。……おかあさま、よろしいのでしょうか?」
「殿方の顔を潰してはいけないよ、アリアーネ。こういう時は、甘えるといい」
そう言って、にこりと微笑んだミリアニスの姿は、幼い子供達から見ても卓越した美しさだ。
あの美の象徴ともいえる皇太后の娘であり、隣国に嫁いだ双子の姉と共に“我が国の宝珠”と讃えられた事実にも頷ける。
その母の美を過たず受継いだアリアーネも、愛らしいかんばせをシオンに向かって綻ばせた。
「じゃあ、ごちそうになっていい? シオン」
「もちろん!」
シオンとスオウは喉が渇いていたので、それぞれフルーツのジュースを頼んだ。
新鮮な果物を、恰幅のいい食堂のおばちゃんが目の前で絞ってくれる。瑞々しくて実に美味い。
対して、自分達もお腹は減っていないと告げたミリアニスとアリアーネの前には、少年達を唖然とさせる代物が登場した。
「……」
「……」
それは花瓶か?と思わせる程の巨大なグラスに、ぎゅうぎゅうに詰められているのは、大量のアイスクリームと果物たち。
天辺にはででんっとレギュラーサイズのワンカットケーキが乗っかっていて、その周りを生クリームがぐるりと囲んでいる。
これが、この食堂で秘かに人気の噂のスウィーツ、“プリンセス・パフェ”である。
シオンにとっては父方の叔母、ミリアニスにとっては双子の姉にあたるアマリアス王女が、隣国に嫁ぐ際に記念にメニューに加えられたという、超特大パフェだ。
見ているだけでも胸焼けしそうなそれを、母娘はそれぞれ一つずつ注文した。
数人がかりで挑んでも困難であろうと思われる甘味の集大成を、彼女達はなんと一人で食べ切るつもりなのだ。
「おいおいおいおいっ……」と突っ込みを入れたい思いに駆られるが、しかし無邪気な笑顔でスプーンを握りしめた幸せそうな母娘を見ると、シオンもスオウも何も言えなくなってしまう。
彼らはそれぞれジュースをちゅーっと吸って目を逸らすことで、自分の心の叫びを抑え込んだ。
その時――
得物に夢中になった母娘と沈黙した少年達に、とある方向から声が掛かった。
「あっ、シオン君とスオウ君、こんなところにいた」
シオン達が着いた席は、食堂の入り口から見ると一番奥まった場所。王城の庭に面した窓辺である。
声は、その庭園の方から掛けられた。
「まあ、スミレ!」
声の主は、城に着いてすぐに別行動になった、シオンの母であった。
パフェに釘付けになっていた視線を彼女に移し、ミリアニスはぱっと瞳を輝かせる。
「兄上も、お会い出来て嬉しゅうございます」
いつまでも少女のように愛らしいシオンの母の側には、当然のように父がぴったりと寄り添っている。
「久しいな、ミリアニス。アリアーネも……息災のようだ」
彼の一向に衰える気配もない美貌は表情が乏しいのは相変わらずだが、慈しみ愛する者達を映す瞳はとても柔らかに綻ぶようになったいた。
シオンの父――先帝ヴィオラントは、窓を覗き込む愛妻のふわふわの黒髪を撫でつつ、素直な笑顔を向けてくる妹に頷き、そうして巨大なパフェを片手ににっこり微笑む姪に苦笑する。
「――ずるいっ! ミリアンとアリアちゃんだけ、ずるい! 私もプリンセス・パフェ食べたいっ!」
そんな彼の隣で、シオンの母スミレが、男性陣がぎょっとするような訴えをして地団駄を踏んだ。
本当に、女性の胃袋というのは男にとっては理解不能だ。
けれども、そんな妻に呆れること無く、優しく諭すように答えるのがシオンの父の常である。
「ミリアニス達とそなたではつくりが違う。腹を壊すのがおちだ、やめておきなさい」
彼は、例えば息子であるシオンがあの常軌を逸したパフェを食べたいと言っても、特に止めはしないだろう。
ただ、「自分で判断して決めなさい」とだけ言って、見守るはずだ。
けれど、こと妻のことに関しては、過保護というか過干渉というか、常にびんびんに神経を尖らせていて、時たま彼女に「ヴィー、いちいちうるさい。お兄ちゃんみたい」と煙たがられるほどだ。ちなみに、その“お兄ちゃん”というのがスオウの父であり、自他ともに認める筋金入りのシスコンである。
どこか冷めた子供なシオンは、そんな父母や伯父を「変な夫婦」「重度のシスコン」と呆れながらも、けれどそれがとても平和で愛すべき家族の姿であるとちゃんと知っている。それは、スオウとて然り。
シオンとスオウは、子供のように唇を尖らせるスミレに自分達のジュースを味見させて宥めつつ、いつの間にかグラスの半分まで減っていた目の前のアリアーネのパフェにびっくりして、目をまん丸にして互いの顔を見合わせた。
「そうそう、兄上。今日はシオンがご馳走してくれると言うので、アリアーネと甘えたのです。その申し出がとてもスマートで、いつの間にか素敵な紳士になっていて、驚きました」
「……ほう、シオンが」
一方、こちらも窓から顔を出した義姉の小さな口に、せっせと自分のアイスを食べさせていたミリアニスは、全くの他意もなく、ただ甥っ子の頼もしい様子をその両親に嬉々として報告した。
それに対し、シオンの父はちらりと意味深な視線を息子に寄越し、母はきょとんと首を傾げる。
シオンはそんな父母から思いっきり目を逸らせた。
「ヴィー、シオン君にお小遣い渡しといたの?」
「いいや」
「ふうん……じゃ、シオン君? どこで仕入れてきたの?」
「……」
結局は、淑女相手に格好をつけて奢ると宣いながら、実はその資金は人にいただいたばかりのお小遣いであったという、あまりスマートではない事実が大好きな従姉にも知られてしまったわけで、シオンはちょっとばかり拗ねてしまう。
その唇を尖らせた姿が、母親であるスミレのそれとあまりにそっくりで、彼の父親はまた苦笑に瞳を細めながら息子に言った。
「城内を探検していると皇太后陛下にうかがったが、仕事をしている者たちの手を煩わせてはならないぞ」
「……分かってます」
「ならばよい。気が済んだら最初に通された客室に来なさい。帰りの時間はそなたたちに合わそう」
「……はい」
不貞腐れたシオンの頭を、窓辺から伸びてきた大きな掌が優しく撫でてくれた。
父ヴィオラントは息子の隣に座った甥っ子の頭も同じように撫で、妹とその娘に暇の言葉をかけると、最後に大きく掬ったショコラアイスを口に頬張った妻の腰をさらい、庭園の奥の方へと去って行った。
アリアーネが、「ごちそうさま」と言ってスプーンを置いたのは、それとほぼ同時であった。
「……」
「……」
名物プリンセス・パフェが人気の理由は、数人でシェアしてワイワイ食べて楽しめるというのともう一つ、実は大柱に掛けられた時計が半周――つまり三十分以内に一人で完食すればタダになるというルールにある。
普通に考えれば、あの大量のアイスを一人きりで食べ切るなど到底無理な話であるが、時々ほんの稀に、それをやり遂げてしまう強者が登場する。
弱冠九歳の可愛らしい公爵家令嬢も、その一人であったようだ。
とういうことは、つまり。
ルールに則りアリアーネのプリンセス・パフェは無料になり、結局シオンは大好きな彼女に奢ることができなくなってしまったのだ。
がっくりと意気消沈してしまった親友の肩を、スオウはただ無言でポンポンと叩いてやった。
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